○これまで、『邪馬台国の風景』から『狗奴国の風景』、『投馬国の風景』と見て来た。こういうふうに日向国の風景を見て来ると、どうしても、『中大兄の三山の歌一首』の反歌が気になってくる。今回は、その話をしたい
○「万葉集」巻一には、『中大兄の三山の歌一首』と言う大和三山を詠った和歌が存在する。大和三山と言えば、この和歌が紹介されることが多い。
中大兄の三山の歌一首
香具山は 畝傍雄々しと
耳成と 相争ひき
神代より かくにあるらし
いにしへも しかにあれこそ
うつせみも つまを 争ふらしき
反歌
香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来し印南国原
海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけかりこそ
○実は、「万葉集」には、この『海神の豊旗雲に』和歌に続けて、次のような注が付してある。
右の一首の歌は、今案ふるに反歌に似ず。ただし、旧本、この歌をもちて反歌に載す。
この故に、今もなほこの次に載す。
○この注は、なかなか興味深い。『中大兄の三山の歌一首』の反歌として、『香具山と耳梨山と』和歌は反歌として相応しいけれども、『海神の豊旗雲に』和歌は、どうもそぐわないとする。それはそうだろう。奈良県橿原市に存在する大和三山の風景とは、まるで関係無いのが『海神の豊旗雲に』和歌なのだから。どう考えてもこれは大和三山の和歌では無い。
○そういうことを考えたのが、「万葉集」の編者であることに注目したい。すでに「万葉集」が編纂された八世紀に、そういう状況が生まれていたことが判る。『中大兄の三山の歌一首』にしたところで、これが大和国で謳われることには、相当、無理がある。この和歌は比喩であり擬えである。そういう世界が存在するのは、もっと古い時代である。
○ここでは香具山を信奉する人々と耳成山を信奉する人々とが争った。その両方が畝傍山を信奉する人々の加勢協力を要請したと言うことだろう。そういう争いの情勢を静かに見守っている人々も居た。それが
『印南国原』の人々である。そういう四者が居た話である。
○奈良県橿原市に存在する大和三山で、この話は成立しない。まず、奈良県橿原市に存在する畝傍山・香具山・耳成山は、標高200辰砲睨燭覆ぞ山に過ぎない。それに畝傍山・香具山・耳成山の三山の間の距離は2劼らいだろう。こんな和歌が誕生する争いは、ここではあり得ない。
○こういう和歌になるのは、相当大きな勢力同士の争いでしかない。それが日向国はあり得る。桜島山を中心とした勢力と開聞岳を中心とした勢力が争うことは普通に考えられる話である。その南には内之浦三岳を信奉する人々が控えている。一番北の霧島山を中心とした勢力も侮れない。そういう話だろう。
○そうすれば、
海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけかりこそ
和歌の情景が見事に見えて来る。この情景が錦江湾の景色であることは間違いない。一番良いのは、高隅山から見る夕日だろう。一回だけ、見たことがある。それが申し分の無い絶景であることは間違いない。
○「万葉集」巻一には、『中大兄の三山の歌一首』と言う大和三山を詠った和歌が存在する。大和三山と言えば、この和歌が紹介されることが多い。
中大兄の三山の歌一首
香具山は 畝傍雄々しと
耳成と 相争ひき
神代より かくにあるらし
いにしへも しかにあれこそ
うつせみも つまを 争ふらしき
反歌
香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来し印南国原
海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけかりこそ
○実は、「万葉集」には、この『海神の豊旗雲に』和歌に続けて、次のような注が付してある。
右の一首の歌は、今案ふるに反歌に似ず。ただし、旧本、この歌をもちて反歌に載す。
この故に、今もなほこの次に載す。
○この注は、なかなか興味深い。『中大兄の三山の歌一首』の反歌として、『香具山と耳梨山と』和歌は反歌として相応しいけれども、『海神の豊旗雲に』和歌は、どうもそぐわないとする。それはそうだろう。奈良県橿原市に存在する大和三山の風景とは、まるで関係無いのが『海神の豊旗雲に』和歌なのだから。どう考えてもこれは大和三山の和歌では無い。
○そういうことを考えたのが、「万葉集」の編者であることに注目したい。すでに「万葉集」が編纂された八世紀に、そういう状況が生まれていたことが判る。『中大兄の三山の歌一首』にしたところで、これが大和国で謳われることには、相当、無理がある。この和歌は比喩であり擬えである。そういう世界が存在するのは、もっと古い時代である。
○ここでは香具山を信奉する人々と耳成山を信奉する人々とが争った。その両方が畝傍山を信奉する人々の加勢協力を要請したと言うことだろう。そういう争いの情勢を静かに見守っている人々も居た。それが
『印南国原』の人々である。そういう四者が居た話である。
○奈良県橿原市に存在する大和三山で、この話は成立しない。まず、奈良県橿原市に存在する畝傍山・香具山・耳成山は、標高200辰砲睨燭覆ぞ山に過ぎない。それに畝傍山・香具山・耳成山の三山の間の距離は2劼らいだろう。こんな和歌が誕生する争いは、ここではあり得ない。
○こういう和歌になるのは、相当大きな勢力同士の争いでしかない。それが日向国はあり得る。桜島山を中心とした勢力と開聞岳を中心とした勢力が争うことは普通に考えられる話である。その南には内之浦三岳を信奉する人々が控えている。一番北の霧島山を中心とした勢力も侮れない。そういう話だろう。
○そうすれば、
海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけかりこそ
和歌の情景が見事に見えて来る。この情景が錦江湾の景色であることは間違いない。一番良いのは、高隅山から見る夕日だろう。一回だけ、見たことがある。それが申し分の無い絶景であることは間違いない。