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魏志倭人伝の読み方

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○日本最古の歴史書は、八世紀の「古事記」「日本書紀」だから、八世紀以前に日本の歴史を記録するものは、日本には存在しない。

○それに対して、中国の史書「三国志」は三世紀に成立し、その中に日本に関する記述が存在する。正式には、『三国志』魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝・倭人の条と言い、全字数1984字もある。三世紀の日本を知る上で、貴重な史料となっている。それを日本では特別に、「魏志倭人伝」と称している。ここでも「魏志倭人伝」として案内したい。

○ただ、中国の史書は、読むことが極めて難しい。それは、もともと中国の史書は中国の史家を読者の対象として書かれているからである。だから、中国でも、普通の人が読んだところで、中国の史書の真の意味を解することは難しい。まして、専門家でも無い、普通の日本人に「魏志倭人伝」を読み解くことは不可能だと言えよう。

○もっとも、「魏志倭人伝」そのものは、全字数1984字しかないわけだし、中国語ではあるけれども、漢文を学習した日本人であれば、誰でも読むことが出来る。それで、誰もが「魏志倭人伝」を読み、誰もが「魏志倭人伝」を読み解いたと思っている。そういう本が日本には、それこそ無数に転がっている。しかし、「魏志倭人伝」を読み解くことはそんなに簡単なことでは無い。

○「魏志倭人伝」を読むと、「三国志」の編者、陳寿は、極めて正確に、極めて丁寧に「魏志倭人伝」を記述していることが判る。それなのに、日本では「魏志倭人伝」の記述に問題があると指摘する学者は多い。しかし、何しろ相手は、歴史が証明する希代の史家なのである。問題があるのは、「魏志倭人伝」ではなく、読み手の側だと思ったが間違いない。

○実際、「魏志倭人伝」に幾つか誤写が存在することは間違いない。しかし、それは代々書写されて来た書物であれば当たり前のことに過ぎない。三世紀の書物を読むのであれば、それくらいのことは当然である。それをも含めて読むのが古典を読む上では要求される。

○それでも、現存する「魏志倭人伝」から、三世紀当時の日本を復元することは十分可能である。それほど「魏志倭人伝」は丁寧、且つ正確に書かれていることに驚く。やはり、「三国志」の編者、陳寿は只者ではない。

○多くの人は、「魏志倭人伝」に邪馬台国や卑弥呼を求めて止まない。しかし、陳寿の本心がそこにあるわけではないことに十分留意する必要がある。つまり、「魏志倭人伝」の主題は何かと言うことが陳寿の真の目的であることを見失ってはならない。誰もそういう話をしない。

○結論から先に述べると、「魏志倭人伝」の主題は、倭国の全容の解明にある。「三国志」の編者、陳寿が、それ以外の目的で「魏志倭人伝」を記述するわけがない。そういう肝心の「魏志倭人伝」の主題を放擲して、「魏志倭人伝」を読むことは、誰にも出来ない。

○寡聞にして、これまで、倭国の全容を提示した著作を見たことが無い。あったとしても、それは地名の語呂合わせみたいな、陳腐な話ばかりである。そういうものが陳寿の狙いであるはずもなかろう。全てが「魏志倭人伝」から導き出される倭国の全容だけが、本物の倭国の全容だと言える。それは、次のように案内される。

  【倭国三十国】
  渡海三国      狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  北九州四国    末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  中九州二十国  斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国・
             姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
             鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  南九州三国     投馬国・邪馬台国・狗奴国

○これが「魏志倭人伝」から導き出される倭国の全容であり、「魏志倭人伝」の主題である。何とも陳寿と言う史家の実力に、驚き、且つ呆れるしかない。こんな丁寧で、且つ正確な倭国の全容は無い。

○これは、「魏志倭人伝」が読めるだけで解明されるものではない。倭国の地理歴史に通暁していない限り不可能な話である。確かに「魏志倭人伝」は中国の著作だが、中国の方にそういう知識は無い。だから、「魏志倭人伝」は、日本人が解明しなければならない、陳寿の宿題だと思ったが良い。

○これまで、三世紀の陳寿の宿題に、誰もが悩まされ、果敢に挑戦なさって来た。しかし、おそらく「魏志倭人伝」だけを読んでいては、「魏志倭人伝」は読めない。「古事記」「日本書紀」「万葉集」を併せて読まない限り、「魏志倭人伝」は読めない。

○加えて、倭国の地理を知らなかったら、まず「魏志倭人伝」は読めない。それに日本の宗教も相当ヒントとなる。つまり、「古事記」「日本書紀」「万葉集」などとともに、日本の古代宗教が指示することろは、全て見事に一致する。

○完璧を期す為に、中国で「魏志倭人伝」を読んでみたら、また別の見方が現れるかも知れない。そう思って、2011年10月からこれまで7回、中国を訪れた。もちろん、中国の何処でも良いわけではない。古代に倭国に中国文化が流入した中国の地でなくてはならない。

○中国では、伝統的に倭国は百越の一つだと言う概念がある。それがどういうことを意味するかが以前はまるで理解出来なかった。しかし、会稽や寧波、杭州、普陀山などを何度も訪れていると、確かに倭国は百越の一つだと言うことが理解される。

○ある意味、日本で「魏志倭人伝」を読んでいては「魏志倭人伝」の真意は理解出来ない。「魏志倭人伝」を書いた陳寿の視点に立たない限り、陳寿の言わんとするところは見えて来ない。そんなふうに感じた。

○「魏志倭人伝」が案内する帯方郡から邪馬台国までの道程も、本当は、次のようになる。

  【帯方郡から邪馬台国への道のり】
  ・帯方郡→狗邪韓国     七千余里
  ・狗邪韓国→対馬国      千余里
  ・対馬国→壱岐国       千余里
  ・壱岐国→末廬国       千余里
  ・末廬国→伊都国       五百里
  ・伊都国→ 奴国        百里
  ・ 奴国→不弥国        百里
  ・不弥国→投馬国     千五百余里
  ・投馬国→邪馬台国     八百余里
  ・末廬国→邪馬台国     二千余里

○「三国志」の編者、陳寿は、何とも恐ろしい史家である。「魏志倭人伝」を読むと、恐ろしいほど陳寿には倭国がよく理解されている。私は「魏志倭人伝」を読む為に、「三国志」を始め、「古事記」「日本書紀」「万葉集」を読み、五回も舟山群島、普陀山を訪れた。多分、陳寿はその私以上に倭国を理解している。

○2013年10月13日に、浙江省舟山群島、普陀山を訪れた。今回が5回目の訪問になる。
  ・第一回:2012年3月12日
  ・第二回:2012年7月18日
  ・第三回:2012年11月10日
  ・第四回:2013年3月16日
多分、「魏志倭人伝」は、このようにして読むべきなのではないか。机上では何も解決しない。

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