○寧波を訪れたら、私が必ず行くところが、城隍廟であり、鼓楼である。城隍廟も鼓楼も、商店街となっている。それも下町の商店街と言った雰囲気で、日本なら、さぞかし大阪の駅前商店街だと思えば良い。あそこに行けば、何でも無いものは無い。それが寧波の城隍廟であり、鼓楼である。
○リュックを背負っての旅行であるから、余程のことが無い限り、物は買わない。と言うか、持てないので買えない。それでも、城隍廟や鼓楼を散策しながら店舗をひやかして歩くことが楽しい。まず、日本ではお目に掛かれない珍しいものが幾らでも出現する。
○城隍廟界隈を一通り見て回った後、タクシーを拾って鼓楼へ向かう。もっとも、城隍廟から鼓楼は1劼らいしか離れていない。普段なら歩いて行くところだが、疲れていたので、歩く元気が無かった。
○タクシーの運転手さんがタクシーを鼓楼の真ん前に停めてくれたので、そこから歩いて鼓楼を潜る。何時見ても、寧波鼓楼は立派な建物である。鼓楼に隣接する永豊庫遺址公園を眺めていたら、女性が老人を伴って鼓楼へ上がって行くのが見えた。どうやら、鼓楼へは上がれるらしい。
○それで私も老人の後を付いて上って行った。鼓楼の下部はまるで城壁そのものである。その下部の上に鼓楼が建っているのだが、鼓楼内部には灯りが点いていた。鼓楼にも登れるのだろうかと思って近付くと、鼓楼内部は展示会場となっていて、現在は寧波書画十人展が開催されていた。鼓楼上部に上がることは出来ないようだった。
○鼓楼からの眺めはなかなかのものであった。新装なった鼓楼の商店街や永豊庫遺址公園もここからが一番良く見ることが出来る。今までどうして気付かなかったのかと不思議でならない。これまでは、朝の散歩で訪れることが多かったので、その時間帯は閉まっていたのかも知れない。
○鼓楼の商店街は、いつもと違って人が少ない。普段なら、人が溢れるように居るのに、閑散としていた。おそらく台風23号の余波であるに違いない。まだ台風23号が通過してから1週間しか経っていないのである。
○鼓楼から下りて、鼓楼の商店街を歩く。雑貨屋さんとお土産屋さん、洋服店が多い。中に大きなスーパーがある。前に見学したことがあったスーパーである。今回も見たが、ここのスーパーの果物売り場が凄い。日本ではほとんどお目に掛かれない珍しい果物が幾らでも存在する。本当は1個ずつ買って試食したいくらいなのだが、そういう勝手は許されない。眺めて歩くしかなかった。
○少し行った先に学食スタイルのレストランを見付けた。中国語の話せない私にとって、自分で実物を自由に選べるから、非常に重宝なレストラン形式である。ちょうど12時過ぎであったから、ここで今日の昼食とした。
○2012年11月に寧波を訪れた際には、ちょうど尖閣諸島(中国名:釣魚島)問題で中国と日本との関係が難しい時期であった。その時、中国各地では、釣魚島の飾りものを売っているのを見掛けた。ここ寧波の鼓楼にも、それが飾ってあった。
○今回、そういうものは全く見掛けなかった。前に、本ブログでも書いているが、中国と日本の間で尖閣諸島問題がもつれている時にも、私は中国旅行を続けていた。しかし、中国の方々は、日本人の私に皆、親切であった。「お隣同士、仲良くしましょう」と言うのが、私の中国で出遭った、中国の方々の意見であった。それがまた嬉しかった。私も全く同意見である。
○ただ、私は日本人である。寧波や杭州などを歩いていると、倭寇の被害の痕跡を各所に見ることが出来る。私達日本人が嘗て、中国各地で甚大な被害を中国の方々に与えていることは間違いない。それも一回や二回では無い。倭寇が中国の首都南京まで押し寄せた史実もあるくらいである。普陀山は倭寇の被害で、島を放棄した時代があったくらいである。そういうことを知って居て発言する日本人は少ない。
○寧波や杭州での日本人の所行は、まるで海賊のそれである。中国人が如何に倭寇を恐れたか。肝心の日本人はそのことをまるで自覚していない。千年以上の略奪の歴史が中国と日本との関係であることを知る日本人は、あまり居ない。
○そういうことは、中国を訪れて見ない限り、理解されない。ただ北京や西安、洛陽、上海などの観光地を廻っていては、決してそういうものを見ることは出来ない。
○もともと、古代から連綿と多くの日本人が訪れていたのは、寧波であり、会稽であり、杭州、南京などの都市であって、北京や西安、洛陽、上海では無い。
○正しい歴史認識をと、多くの人が発言なさる。しかし、正しい歴史認識をすることがどれほど難しいことであるかを問題になさる人は少ない。だから、こうやって、自分で見聞して来た事実を伝えるしかないわけである。
○私は「三国志」の時代から連綿と中国との日本との交渉は続いていると考える。それは「三国志」の巻三十、『烏丸鮮卑東夷伝・倭人の条(通称:魏志倭人伝)』が記録する、
・計其道里當在会稽東冶之東。
・所有無與儋耳朱崖同。
を読めば理解される。この記録が意味することは、倭国が百越の一つであると言う、中国の伝統的な考え方にある。
○寧波を歩くと、それが実感される。寧波の風土そのものが南九州のそれと、ほとんど同じであることに驚く。今回の寧波の台風23号被害にしたところで、まるで日本の南九州の意識と同じである。
○以前、寧波在住の通訳・ガイドの李さんが、「寧波では、台風が来る度に涼しくなって、秋が深まります」とおっしゃったのを思い出す。そういう感覚は日本の南九州の感覚とまるで一緒である。
○そんなことを感じながら、寧波鼓楼界隈を散策した。
●2012年3月に最初に寧波を訪れた際の寧波鼓楼は、次の通り。
・書庫「寧波漫歩」:ブログ『寧波鼓楼』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36701338.html
●2012年7月に寧波を再訪した時にも寧波鼓楼を訪れている。
・書庫「寧波再歩」:ブログ『寧波鼓楼界隈』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37031155.html
●2013年3月に3回目の寧波訪問を行った。その時には、朝の散歩で寧波鼓楼を訪れている。
・書庫「寧波三歩・洛迦山参詣」:ブログ『朝の散歩~寧波鼓楼~』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37541744.html
●永豊庫遺址公園については、以下を参照されたい。
・書庫「寧波再歩」ブログ『永豊庫遺址公園』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37028315.html