○中国各地を歩いていると、王安石の詩碑に出会すことが結構ある。王安石は、放浪の詩人でも無いのに、兎に角、各所に赴いているのに感心する。もっとも、私が歩いているところは古い仏寺であるから、王安石も同じように、佛様の足跡を求めて彷徨しているのかも知れない。
○もちろん、王安石は雪竇山にもその足跡を残している。それが王安石の七言絶句「千丈岩瀑布」詩である。
○2013年10月15日、寧波在住の通訳・ガイドの李さんに伴われて、雪竇山を訪れた。雪竇山雪竇資聖禅寺へ参詣した後、錦鏡池から千丈岩瀑布滝口を見て、坂道を登る。およそ300辰曚錨个辰燭箸海蹐鉾雪亭が存在する。飛雪亭は千丈岩瀑布を眺望するのに、格好の場所となっている。日本であれば、さぞかし滝見台と言うところである。
○その飛雪亭の展望所に、真新しい王安石の石像と詩碑が存在した。詩碑に刻んであったのが「千丈岩瀑布」詩である。詳しくは、以下を参照されたい。
・書庫「寧波五歩:雪竇山」:ブログ『妙高台』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38598183.html
○別に、普陀山から洛迦山へ渡った際にも、王安石の詩碑を目にしている。
・書庫「普陀山・洛迦山」:ブログ『王安石:遊洛迦山』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36916541.html
○王安石の七言絶句「千丈岩瀑布」詩は、次の通り。
【原文】
千丈岩瀑布
王安石
拔地萬重青嶂立
懸空千丈素流分
共看玉女機絲掛
映日還成五色文
【書き下し文】
千丈岩瀑布
王安石
地を拔くこと萬重、青嶂の立ち、
空を懸くこと千丈、素流の分く。
共に看る玉女の、機絲を掛くるを、
日に映えて還び成る、五色の文。
【我が儘勝手な私訳】
雪竇山と言うのは、地上から幾重にも険しい青山が聳え立つところであって、
千丈岩と言うのは、空から千丈もの岩を伝って滝が流れ落ちているところである。
その雪竇山千丈岩を訪れた者は、千丈岩瀑布を眺めて、
千丈岩瀑布と言うのは、誰もが天女が機を織っているところだと考えるし、
その織られた布に、朝陽が照り映えて、佛様の五色の文様を織り成すのである。
○王安石「千丈岩瀑布」詩や「遊洛迦山」詩を読むと、何とも、王安石がよく勉強しているのに感心する。決して、王安石は雪竇山を訪れ、偶々、詩をものしたわけではない。王安石は最初から詩を詠もうと願って、雪竇山を訪れていることだけは間違いなさそうである。おそらく、そういうことを誰もが期待していた。王安石は、ただ、その期待に応えたに過ぎない。
○王安石ほどの詩人になると大変である。迂闊に何処にでも出掛けることもままならない。王安石が相当の覚悟と事前準備をして、雪竇山や洛迦山へ参詣していることも間違いない。
○もっとも、それは王安石に始まったことではない。この辺りを同じように彷徨している先達がいる。それが孫綽である。王安石(1021~1086)が11世紀の詩人なのに対して、孫綽(314~371)は4世紀の人物である。何とも中国の歴史は奥が深い。
○会稽や寧波界隈の諸寺に参詣すると、度々、孫綽や王安石の足跡を見る。四世紀の孫綽から七百年後の十一世紀に王安石が出現し、その千年後の二十一世紀に私がその足跡を辿っている。四世紀の孫綽や十一世紀の王安石の想いがどういうものであったかを二十一世紀の私が想像することは、何とも楽しい。