○樓鑰も、日本ではほとんど知られていない詩人である。中国の検索エンジン百度『百度百科』が案内する樓鑰は、次の通り。
楼钥
楼钥(1137~1213)南宋大臣、文学家。字大防,又字启伯,号攻媿主人,明州鄞县(今属浙江)人。
楼璩的三子,有兄长楼鐊、楼锡,与袁方、袁燮师事王默、李鸿渐、李若讷、郑锷等人。隆兴元年(11
63年)进士及第。历官温州教授,起居郎兼中书舍人,大定九年(1169年),随舅父贺正旦使汪大猷出
使金朝。嘉定六年(1213年)卒,谥宣献。袁燮写有行状。有子楼淳、楼濛(早夭)、楼潚、楼治,皆
以荫入仕。历官温州教授、乐清知县、翰林学士、吏部尚书兼翰林侍讲、资政殿学士、知太平州,卒谥
宣献。 乾道间,以书状官从舅父汪大猷使金,按日记叙途中所闻,成《北行日录》。
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○その樓鑰に「妙高峰」詩がある。
【原文】
妙高峰
宋 樓鑰
一峰高出白雲端
俯瞰東南千萬山
試向崗頭轉圓石
不知何日到人間
【書き下し文】
妙高峰
宋 樓鑰
一峰の高出す、白雲の端、
東南を俯瞰せば、千萬の山。
試みに崗頭の向より、圓石を轉がせば、
知らず、何れの日か、人間に到るを。
【我が儘勝手な私訳】
浙江省寧波の奉化市溪口鎮から望むと、白雲の上に一際抜きん出ているのが妙高峰で、
その妙高峰からは東南方角が一望出来、眼下に多くの山々が何処までも続いている。
その妙高峰の山頂から丸石を転がしたら、
何日経ったら、人の住むところまで、その丸石は辿り着くだろうか。
○『百度百科』が案内するように、樓鑰は「明州鄞县(今属浙江)」の人である。現在の寧波の人だから、雪竇山は樓鑰にとって、まるで地元である。樓鑰が、
一峰高出白雲端 一峰の高出す、白雲の端、
と詠じるのは、案外、「明州鄞县(今属浙江)」からの風景なのかも知れない。
○寧波からは、西の方角に四明山が遠望される。私は「四明」地名が「西明」の訛ったものだと思っているくらいである。その四明山の南端が雪竇山である。
○中国の検索エンジン百度『百度百科』が案内する樓鑰項目の中に、「蔵書」欄があって、樓鑰は大層な蔵書家であったことが記されている。
【蔵書】
楼钥学宗朱熹,性喜藏书,祖父楼郁家中藏书万余卷,筑东楼于月湖畔,藏书楼名“东楼”。好书不
倦,自六经至百家传记,无所不读,家藏书万卷,手抄居半。贯通经史,酷嗜典籍,如诸子百家、音训
小学诸书,悉究其渊奥。聚书逾万卷。凡精椠著本、刻本、抄本,必一一收藏,皆手自校雠,甚至动员
奴婢亦参与校书之事,称善本者颇多。至晚年为得潘景宪的八十二篇《春秋繁露》一书,仍转辗访求,
得而后快,是当今传世的唯一之本,《崇文总目》中所载只30篇。历几十年之聚集,东楼藏书逾万卷。
内有楼钥随使金时所撰《北行日录》和深得世人推崇的楼钥名著《攻媿集》一百二十卷。时东楼经常接
待读者:“客有愿传者,辄欣然启帙以授。”(光绪《鄞县志》)。“门前莫约频来客,坐上见观未见书。”
(楼钥诗句,王应麟札)。藏书乐于出借给他人观览,有愿抄录者,则欣然启帙以授。其“东楼”藏书,
与同邑藏书家史守之称为“南楼北史”。藏书印有“四明楼钥”。到了南宋末年,元兵南下,东楼藏书
终随改朝换代而渐渐散失。至明末更全数败落,旧宅多归王家墩汤氏所有。
○寧波を最初に訪れた時、寧波在住の通訳・ガイドの李さんが最初に連れて行ってくれたのが、月湖畔に存在する天一閣であった。天一閣は、明代の范欽のものだが、それより遙か以前に月湖畔で蔵書家として知られたのが樓鑰である。
○寧波には、やはり、伝統的に、こういうふうに文化を重んじる風土が存在するような気がする。それが現代の上海にも伝搬しているのではないか。上海を作ったのは寧波人だと言われているのだから。
○樓鑰の先生が朱熹だと言うのも、気になる。朱熹(1130~1200)と樓鑰(1137~1213)とでは、年齢差は七歳である。儒家樓鑰にしては、「妙高峰」詩の表現は軽妙洒脱である。おそらく、地元で馴染みの四明山雪竇山妙高峰であったから、こういう茶目っ気が出たのではないか。
○因みに、妙高峰とは、須弥山の謂いで、世界の中心の山である。