○鎌倉と言ったら、鶴岡八幡宮だろう。鎌倉の海岸である由比ケ浜から北へ真っ直ぐ伸びた若宮参道の先に鎮座ましますのが鶴岡八幡宮である。つまり、鎌倉の町の中心に鶴岡八幡宮は鎮座まします。住所は、神奈川県鎌倉市雪ノ下二丁目一番。
○二の鳥居前で7時35分、三の鳥居に到着したのは7時45分であった。三の鳥居内には、石造りの立派な太鼓橋が架けられていて、その奥に拝殿が見えた。朝が早いので、参詣客もほとんど居ない。叔父と二人で、のんびりと静かな境内を歩いた。境内は、神社の方が総出で清掃をなさっていた。
○今回の旅行の目的は、横浜に住む叔父の見舞いにあった。八幡様に叔父の全快を祈願したことは言うまでもない。この日は曇天であったが、天気が良ければ、鶴岡八幡宮からは海が見えるに違いない。
○鶴岡八幡宮名物の長い石階段の下には、舞殿が見える。以前、石階段右手にあった大銀杏が倒壊したのは、平成22年3月10日だと言う。現在は大銀杏は横に移植され、元の場所には蘖(ひこばえ)が出ている。
○大銀杏が無くなって、鶴岡八幡宮は、随分明るくなった気がする。八幡宮の歴史を語る上で、様々な伝説に彩られた大銀杏が無いのは寂しいけれども、下から見上げる八幡宮は実に美しかった。
○鶴岡八幡宮のHPには、御由緒について、次のように載せる。
鶴岡八幡宮
【御祭神】
応神天皇(おうじんてんのう)
比売神(ひめがみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)
【例祭日】
9月15日
【御由緒】
当宮は康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加
護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承4年(1180)鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って
由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下
両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。 また、頼朝公は流鏑馬や相撲、舞楽な
ど、今日にも引き継がれる社頭での神事や行事を興し、 関東の総鎮守として当宮に厚い崇敬の誠を
寄せたのです。 以降、当宮は武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に
広まりました。 当宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後「武士
道」に代表される日本人の精神性の基調となりました。 現在では国際的史都鎌倉の中心的施設とし
て国の内外より年間を通して数多の参拝者が訪れます。
現在の御本殿は、文政11年(1828)、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、
若宮とともに国の重要文化財に指定されています。 深い杜の緑と鮮やかな御社殿の朱色が調和する
境内には源頼朝公、実朝公をお祀りする白旗神社をはじめとする境内社のほか、 静御前ゆかりの舞
殿や段葛が八百年の長い歴史を伝えています。
https://www.hachimangu.or.jp/index.html
○別に、ウィキペディアフリー百科事典には、次のように載せる。
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮(つるがおか はちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市にある神社。旧社格は国幣中社で、
現在は神社本庁の別表神社。
別称として鎌倉八幡宮とも呼ばれる。武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの
神社として全国の八幡社の中では知名度が高く、近年では三大八幡宮の一社に入ることがある。境内
は国の史跡に指定されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
○もともと八幡宮は九州の神様である。それに神仏習合の神でもある。その起源は頗る古い。八幡宮の総本社とされる宇佐神宮のHPには、その御祭神として、
一之御殿:八幡大神 (はちまんおおかみ):誉田別尊(応神天皇)
二之御殿:比売大神 (ひめのおおかみ):宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)
三之御殿:神功皇后 (じんぐうこうごう):息長足姫命
を挙げているいるけれども、それは新しい時代のものであろう。本来は、磐座信仰だと思われる。
○八幡神が三神であることにも注意を要する。住吉神も「底筒男命・中筒男命・表筒男命」の三神である。また、宗像神も「多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命」の三神である。これらの神々が全て九州出身の神であることも見逃せない。
○ウィキペディアフリー百科事典では、
・(鶴岡八幡宮が)近年では三大八幡宮の一社に入ることがある。
と特記するけれども、そんなことはどうでも良いことである。問題は、八幡神がどういう神であるかと言うことだろう。意外に八幡神は南九州の神だと思われる節がある。
○鶴岡八幡宮の摂末社に、旗上弁天社があることは興味深い。もともとこの地は江の島辯才天が祀られる地であった。おそらく、その関係で、ここに鶴岡八幡宮が鎮座ましましたように思われてならない。
○「古事記」や「日本書紀」をよく読むと、日本神話誕生の時に、すでに日本では神仏習合であったことが判る。そういう日本の歴史を無視して日本神話を扱ったところで、何も生まれては来ない。八幡神が神仏習合の神であることは、それほど八幡神が古いことを実証しているわけである。
○久し振りに鶴岡八幡宮に参拝し、そういうことを思った。