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陶弼:碧湘門

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○陶弼の南岳衡山詩を案内しているが、最後に紹介するのは陶弼の「碧湘門」詩である。現在、長沙市の湘水に沿った湘江中路に、碧湘门广场があるから、碧湘門は、この辺りに存在したものと思われる。

○長沙と南岳衡山とでは、随分離れていると思われるかも知れない。しかし、もともと、長沙は南岳衡山の入り口である。長沙から衡陽まで、南北に、およそ180劼曚貧△覆觧害瑤南岳衡山だと思えば良い。

○陶弼「碧湘門」詩は、次の通り。

  【原文】
      碧湘門
         陶弼
    城中煙樹波漫
    幾萬樓台樹影間
    天闊鳥行疑没草
    地卑江勢欲沈山
    人過鹿死尋僧去
    船自新康載酒還
    聞説耕桑漸蘇息
    領頭今歲不征蠻

  【書き下し文】
      碧湘門
         陶弼
    城中の煙樹、波の漫たり、
    幾萬の樓台、樹影の間。
    天は闊く鳥の行、疑ふらくは草に没するかと、
    地は卑く江の勢ひ、山を沈めんと欲す。
    人は鹿死を過ぎ、僧を尋ねて去り、
    船は新康自り、酒を載せて還る。
    聞説耕桑、蘇息を漸しつつ、
    領頭は今歲、蠻を征せずと。

  【我が儘勝手な私訳】
    潭州の町には多くの並木道が走り、その並木道に爽爽と風が渡って行くと、
    並木道に沿って、潭州の町には数多の高楼が建っているのが判る。
    空は広く何処までも続き、空飛ぶ鳥の列は、最後には地平線へと沈むかのようで、
    大地も広大、何処までも続き、湘水は山を沈めるかのように、勢いよく流れている。
    人は俗世のつまらない世事に喜怒哀楽しながら、最後には僧院を求め去って行き、
    新年には、湘水下流の新康から、船が新酒を積んで、湘水を遡って戻って来る。
    農民たちは世間話をし、農業に勤しみながら、しばらく休息をする最中、
    治世者が今年は遠征軍を送らないと言う噂をしきりにしている。

○長沙の古名が潭州である。昨年6月に長沙を訪れ、湖南省博物館や、馬王堆漢墓、杜甫江閣などを見学した。碧湘门广场は、杜甫江閣のすぐ南に位置するから、昨年6月に碧湘门广场前を通っている。その時は、そう言う知識がまるでなかった。

○杜甫江閣を訪れ、湘水の流れを目の当たりにして、その大河なるのに驚いた。湘水には橘子洲と言う中洲が存在する。中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する橘子洲は、次の通り。

      橘子洲
   橘子洲位于长沙市区中湘江江心,是湘江下游众多冲积沙洲之一,也是世界上最大的内陆洲。橘子洲,
  西望岳麓山,东临长沙城,四面环水,绵延数十里,狭处横约40米,宽处横约140米,形状是一个长岛,
  是长沙的重要名胜之一,也是国家AAAAA(5A)级旅游景区和国家级重点风景名胜区。橘子洲介名山城
  市间,浮袅袅凌波上,被誉为“中国第一洲”。
  http://baike.baidu.com/view/23005.htm?fr=aladdin

○陶弼が碧湘門から眺めた風景は、時代こそ異なるけれども、ほとんど、私が杜甫江閣から眺めた風景と同じものだったに違いない。陶弼が「碧湘門」詩で詠う世界は、空間時間を超えて、何とも広大であるのに驚く。詩人は自由なのである。ここには潭州が見事に描かれているし、湘水が流れ、南岳衡山が遠望される。そして、陶弼は「碧湘門」詩で人生を詠い、世事にまで言及する。その自由闊達なのに驚く。

○昨年6月に長砂を訪問した際、岳さんとおっしゃる、おっとりとした品の良い紳士に案内していただいた。岳さんは岳飛三十七代の子孫であるとのことであった。長沙を再訪し、岳さんと再会することを楽しみにしていたのだが、今回は長砂は通過するだけだったので、再会出来なかったのが残念である。また、長沙には出掛けたい。まだ、ほとんど長沙の町を歩いていない。ゆっくり長沙の町を岳さんに案内していただきたい。それに長沙には、見所も多いし、気になるところも幾つかある。

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