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黥面文身

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○これまで、「魏志倭人伝」中段827字を問題にして、『會稽東冶之東』、『所有無與儋耳朱崖同』、『卑弥呼の鬼道』、『參問倭地、周旋可五千餘里』と論じてきた。しかし、「魏志倭人伝」中段827字で、陳寿が本当に述べたいことは、別にある。

○と言うか、本当は、「魏志倭人伝」の主題は、倭国三十国の全貌案内ではなくて、別にあるのではないか。最近、そう思うようになって仕方が無い。おそらく、倭国三十国の全貌案内は、間違いなく「魏志倭人伝」の主題なのであろう。しかし、「三国志」の編者、陳寿には、もっと深謀遠慮があって、それを「魏志倭人伝」の中に隠している。そんな気がしてならない。

○そのヒントは、各所に存在する。例えば、陳寿は「『烏丸鮮卑東夷傳』の序文」で、
  ・書載「蠻夷猾夏」、詩稱「玁狁孔熾」、久矣其為中國患也。秦、漢以來、匈奴久為邊害。
と述べ、「『東夷傳』の序文」で、
  ・書稱「東漸於海、西被於流沙。」其九服之制、可得而言也。
と書き記している。史家が、こういうあらたまった表現をする時には、要注意である。それほど、大事な要件を取り上げる際の表現となっている。

○陳寿が、上段で「水行陸行」の表現を用いていることについては、既に書いている。
  ・書庫「「おしえて邪馬台国」の不思議」:ブログ『水行陸行』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39048189.html
その最後に、次のように案内した。
   ○陳寿は史家だから、陳寿が採用しているのは「史記」の一節であろう。ある意味、陳寿は「魏志
  倭人伝」で、壮大なロマンを語ろうとしているのでは無いか。そう言う意味では、上記した「魏志倭
  人伝」上段556字は、プレリュードであり、プロローグなのかもしれない。
   ○既に、「魏志倭人伝」の主題は案内済みである。しかし、陳寿の真の目的は「魏志倭人伝」の主
  題には無い。何とも陳寿と言う史家は面倒な男である。それでも、私は、そういう陳寿が大好きだし、
  尊敬している。
   ○だから、『水行』『陸行』表現の真の目的は、「魏志倭人伝」上段556字の中には無い。それ
  は中段827字の中にある。したがって、「魏志倭人伝」中段827字の中で案内するしかない。

○ここで述べようとするのは、まさに、その陳寿のロマンである。陳寿は、「魏志倭人伝」中段827字の冒頭に、次のように述べている。
  男子無大小皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。
  夏后少康之子封於會稽、斷髪文身以避蛟龍之害。
  今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以為飾。
  諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。
  計其道里、當在會稽、東冶之東。

○この記録については、ブログ「會稽東冶之東」と「所有無與儋耳朱崖同」で、既に少し言及している。しかし、これらの記録で、陳寿が最も言いたいのは、倭国が百越の一国であると言うことであろう。そのことを陳寿は「魏志倭人伝」の中で、何度も繰り返していることに驚く。

○最初に述べているのは、上段の「水行陸行」の表現である。次に、中段の上記した冒頭文である。ここで最も詳細に述べているので、この問題は取り上げる。それに続けて、「所有無與儋耳朱崖同」でも、同じ問題を取り上げている。これらの表現は、全て、倭国が百越の一国であると言うことの繰り返しとなっている。

●まず、最初に、倭国の特徴を取り上げるのに、『男子無大小皆黥面文身』は、如何にも奇抜である。受けを狙った表現とも受け取ることも可能だが、おそらく、そんな単純な問題ではあるまい。全倭人に関する大事な冒頭文に、『男子無大小皆黥面文身』の文言を掲げるには、それ相応の理由がある。

●それを引き継ぐのが、『夏后少康之子封於會稽、斷髪文身以避蛟龍之害』の表現であることは、言うまでもない。これは司馬遷「史記」巻四十一『越王句践世家第十一』の次の文に基づく。
  【越王句踐世家第十一】
   越王句踐,其先禹之苗裔,而夏後帝少康之庶子也。封於會稽,以奉守禹之祀。
  文身斷髪,披草萊而邑焉。後二十餘世,至於允常。
  云「於,語發聲也。」允常之時,與吳王闔廬戰而相怨伐。允常卒,子句踐立,是為越王。

●前述した「水行陸行」をしたのが帝禹であった。今でも、中国浙江省の紹興市を訪れると、禹陵が存在する。ここが嘗ての会稽である。禹陵が存在するところが会稽山である。

◎だから、陳寿が、倭人の習俗を案内する冒頭に、『男子無大小皆黥面文身』の文言を掲げるのは、倭人が越文化を継承している人々であることを表現しているに過ぎない。

◎続けて、陳寿は、
  ・自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。
と倭人を案内する。『大夫』などと言うのは、周文化の名残である。そういう古い呼称を今尚保持しているのが倭人である。三世紀の中国人にとって、それはお笑い種であると同時に、「中国失禮」の文化を再認識することともなった。

◎最後に、陳寿は、
  ・計其道里、當在會稽、東冶之東。
と述べ、倭国が百越の一国であることを証明してみせる。もちろん、この道筋が、
  ・会稽→寧波(100辧
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→トカラ列島宝島(600辧
  ・トカラ列島宝島→トカラ列島悪石島(50辧
  ・トカラ列島悪石島(50辧泡トカラ列島諏訪之瀬島(24辧
  ・トカラ列島諏訪之瀬島→トカラ列島中之島(28辧
  ・トカラ列島中之島→トカラ列島口之島(14辧
  ・トカラ列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧
であることが言いたいだけのことである。

◎陳寿と言う史家は、丁寧な男である。蛇足とも言えるような、
  ・所有無與儋耳、朱崖同。
もまた、儋耳・朱崖同様、倭国が百越の一国であることを補足するものに他ならない。

◎結果、「魏志倭人伝」の主題は、やはり、倭国三十国の全貌案内以外にあり得ない。それに加えて、陳寿は、倭国は百越の一国であると一歩踏み込んだ表現をしていると考えるべきだろう。

◎こういうことは、会稽や寧波、舟山群島、杭州あたりを何度も歩いてみない限り、体得出来ない。2010年秋から、2014年春に掛けて、8回中国を訪れ、寧波や舟山群島には5回、会稽や杭州には3回訪れている。

◎また、吐噶喇列島や硫黄島へも、訪れない限り、そこがどういうところであり、そこがどういう文化歴史を有するか、理解することは難しい。吐噶喇列島へは3回、硫黄島には6回、訪問している。

◎何も知らないで、邪馬台国に言及することは自由である。しかし、学問であれば、それは許されることではない。学問では知らないことは罪である。邪馬台国が「魏志倭人伝」に記された史実であることを、もう一回、よく咀嚼してから、邪馬台国については言及すべきであろう。

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