○2014年9月13日付、朝日新聞のコラム「天声人語」は、次のようなものであった。
まっさらな紙に記事が印刷されて、世の中に出ていく。新聞社で働く者の喜びであり、ささやかな
誇りでもある。しかし昨日の紙面は、朝日新聞にとって痛恨のものとなった。報道にたずさわる一人
として、身が縮む。同僚だれもが同じ心情だと思う。
▼当コラムの執筆を任されたころ、敬愛する先輩に言われた。引き継がれてきた1本のろうそくに、
毎日毎日、火をともすように書く仕事だ、と。小欄だけではない。新聞づくりそのものが、社員全員
が真摯な気持ちで、日々に新たな火をともす仕事である。
▼言論の自由の保障が、日本国憲法にもある。人間の歴史がこの自由を獲得するまでに、どれほどの
血が流れ、苦闘があったことか。その理念を尊び、死守すべき言論機関として、慰安婦問題をめぐる
池上彰さんのコラム掲載を見合わせたのは最悪だった。
▼気にいらない意見や、不都合な批判を排した新聞は、もう新聞ではない。「あなたの意見には賛成
しないが、あなたがそれを言う権利は命をかけて守る」。古来の至言が、信頼もろとも紙面上に砕け
散った想いがした。
▼「吉田調書」については、今年5月の小欄でも取り上げている。初報記事とともに「命令違反」の
表現が誤っていたことを、おわびいたします。
▼砕け散ったもののかけらを、時間はかかっても拾い集める。そして信頼を一から作りなおしていく。
深く自省する中で、朝日新聞が言論の一翼を担っていく気構えには揺らぎがないことも、あわせてお
伝えをしたい。
○前日、9月12日付、朝日新聞は、興味深く読ませていただいた。
・吉田調書「命令違反し撤退」記事取り消し
・本社社長、会見し謝罪
・慰安婦巡る記事撤回の遅れ謝罪
・読者と関係者の皆様におわびします
などの見出しが、第一面に躍って居た。生まれてこの方、ずっと朝日新聞を購読して来た者としては、何ともやり切れない思いにさせられたばかりである。
○それに、9月13日付、朝日新聞のコラム「天声人語」が、
・池上彰さんのコラム掲載を見合わせた件
・「吉田調書」の件
のみを取り上げ、
・慰安婦巡る記事撤回の遅れ謝罪
に全く触れていないことも気になる。社会的には、この問題の方がより重大で、かつ影響力も大きいはずである。そういう肝心なことを避けて通ろうとする姿勢には、誰もが違和感を抱く。
○もちろん、コラムに厳しい字数制限があることは承知している。しかし、コラム「天声人語」を書くほどの人がそれを見逃すとも思われない。そういう意味でも、9月13日付、朝日新聞のコラム「天声人語」は、甚だ気になる。
◎『気にいらない意見や、不都合な批判を排した新聞は、もう新聞ではない』とおっしゃるのであれば、朝日新聞は、現段階で既に新聞ではないことを自ら認めていることになる。それ程の覚悟を決めた朝日新聞の今後に注目したい。
◎ただ、本当に、そういうことを朝日新聞が自覚しているかと言えば、それは甚だ疑問だとするしかない。そう言う点について、二、三、ここに指摘しておきたい。
●現在、朝日新聞では漱石の「こころ」を連載中である。今どき、漱石の「こころ」など、何時でも、何処ででも読むことが出来る。そういうものをわざわざ大事な紙面を使って、これほど長々と連載する必要が本当にあるのだろうか。朝日新聞を購読する者なら、ほとんどが漱石の「こころ」くらい、幾度となく読んでいるはずである。
●こういう、朝日新聞を創った過去の栄光にすがっているような紙面の作り方には、些か問題がある。まして、「こころ」に引き続き、「三四郎」まで連載すると言うのは、二匹目だけでなく、三匹目の泥鰌まで狙っているようで、何とも心許ない話である。
●どうしても漱石に触れたかったら、「こころ」や「三四郎」の作品成立の事情や漱石の思想などに踏み込むくらいの気概が欲しい。多くの朝日新聞の読者が求めているのは、「こころ」や「三四郎」の作品などではあるまい。それこそ『則天去私』を唱えた道士、漱石を書くくらいの意気込みが望まれる。2016年がちょうど漱石没後百年だから、その記念ともなろう。
○もう一つ、邪馬台国問題についても、同じことが言えよう。折からの邪馬台国ブームに便乗して、1971年に、 古田武彦著『「邪馬台国」はなかった』を発刊したのも、朝日新聞社である。
○古田武彦の論を、現在、支持する人はほとんど居ない。「魏志倭人伝」に拠って邪馬台国を追求すると言う姿勢以外、何の論拠も無い話だが、当時は多くの人々に支持された。しかし、その「魏志倭人伝」読解自体が、極めて乱暴なものであって、読み物としては面白いけれども、論自体が成り立つものではない。30年も持たない、そういう際どいものを朝日新聞が取り上げた責任は大きい。
●また、朝日新聞では、昭和51年(1976年)2月9日から、同年4月10日まで、朝日新聞文化面に、特集記事『邪馬台国』を52回に渡って連載している。百科繚乱的に独自の観点から邪馬台国問題を特集した記事として、現在読んでも面白い。単行本となり、その序文の最後は、次のような言葉で締め括られている。
この書物を読んで、邪馬台国が日本のどこにあったのか、という長年の懸案に答えが出されていな
いので、がっかりされるかもしれない。しかし、その答えを出す前に、われわれが何をなすべきか。
なすべき多くの事柄は指摘したつもりである。この書物を、邪馬台国を論ずるに当たっての『方法序
説』として受け取っていただければ幸いである。
●この特集記事『邪馬台国』は、何か勘違いしているように思うのは、私だけだろうか。もともと、邪馬台国は「魏志倭人伝」に記された史実に過ぎない。それなら、肝心の「魏志倭人伝」を正確に読むことに専念すれば良いだけのことである。それ以外のものは全て想像であり、推論に過ぎない。ところが特集記事『邪馬台国』が特記するのは、「魏志倭人伝」ではなく、想像や推論の部分だけである。肝心要の「魏志倭人伝」を積極的に読もうとする意思がまるで無い。最後の最後に、付録として、「魏志倭人伝」新読み下し文を紹介しているだけである。それで邪馬台国に辿り着けるはずも無かろう。
○更に、朝日新聞では、2010年4月から、「おしえて邪馬台国」と言う不定期の特集記事が組まれ、火曜日に掲載されている。今年で4年になると言うのに、未だ継続中である。それがまた何故か、全て、考古学の発掘例の紹介に終始しているのに驚き呆れる。つまり、特集記事「おしえて邪馬台国」は、考古学に拠って邪馬台国が解明されると信じて疑わない。邪馬台国が「魏志倭人伝」にある史実であることをご存じ無いのだろうか。
○「魏志倭人伝」を読解することに拠ってのみ、邪馬台国も卑弥呼も解明される。何故なら、邪馬台国も卑弥呼も「魏志倭人伝」に記された史実だからである。「魏志倭人伝」解読の結果、すでに、邪馬台国は発見され、卑弥呼がどういう人物であったかもはっきりしている。そんな時代に朝日新聞が連載する「おしえて邪馬台国」は、まるで時代遅れな記事内容だと言うしかない。
◎陳寿の「三国志」が編纂されたのは三世紀末だと言う。1700年も経った現在でも、燦然とした「三国志」の輝きは少しも色褪せていない。それが陳寿の「三国志」である。まあ、そういうものを朝日新聞に望むべくも無いけれども、せめて、現時点での真実くらいは期待したい。
◎真面目に「魏志倭人伝」を読んで欲しい。それだけで、邪馬台国が何処に存在するかは、はっきりする。これまで誰も「魏志倭人伝」を読んでいない。それほど「魏志倭人伝」を読み解くことは難しい。多分、「史記」や「三国志」を愛読するような人で無くては、「魏志倭人伝」は読めない。それに、最後は中国に出掛けない限り、「魏志倭人伝」は理解出来ない。これまでそういう努力をして「魏志倭人伝」を読んでいる人は居ない。意外に、陳寿は正確に倭国を認識し、驚くほど丁寧に倭国を案内している。ただ、誰でも読めるようには記さない。それが中国の史家の作法である。「魏志倭人伝」が読めないのは、単に、読者の努力不足と言うしかない。今どき、そんな努力をするほど暇な人は少ない。片手間で「魏志倭人伝」は読めない。
◎2014年9月13日の天声人語を読んで、全く以て残念と言うしかない。それでも、『気にいらない意見や、不都合な批判を排した新聞は、もう新聞ではない』とおっしゃる朝日新聞の覚悟がどれほどのものか、読者は楽しみにしている。