○揚州大明寺の売店で買って来た「揚州詩咏」(李保華著)を読んでいるうち、徐凝の『憶揚州』詩を読み、感動した。徐凝がどういう詩人であるか、皆目知らない。それで、徐凝の作品を『憶揚州』『七夕』『奉酬元相公上元』と案内して来た。今回紹介するのは、徐凝の『廬山瀑布』詩である。
【原文】
廬山瀑布
徐凝
虚空落泉千仞直
雷奔入江不暫息
今古長如白練飛
一条界破青山色
【書き下し文】
廬山瀑布
徐凝
虚空に落泉す、千仞の直、
雷の奔り江に入りて、暫く息はず。
今古、白練の飛ぶが如く長く、
一条、青山の色を界破す。
【我が儘勝手な私訳】
廬山の瀑布は、まるで空から落ちて来るかのように、千仞の高さを誇り、
瀑布は囂々と音を轟かせて、一時の休む暇も無く落ち続けている。
昔から今に至るまで、白い練絹を飛ばしたかのように長く流れ、
青々とした樹海の中に、一本、廬山瀑布が白く際だって見えている。
○2013年6月12日に廬山山上を訪れたし、今回の旅行でも、2014年6月19日に廬山山下の西林寺・東林寺に参詣している。兎に角、廬山は広大な山塊なので、1回や2回廬山を訪問したところで、到底、廬山の全てを見尽くすことは出来ない。
○徐凝が『廬山瀑布』詩で詠じている廬山瀑布は、李白が『望廬山瀑布』詩で詠っている瀑布と同じで、南香炉峰の秀峰に架かる瀑布だと思われる。地址では、江西省九江市星子県白鹿鎮廬山南大道秀峰景区となる。詳しくは、以下に書いているので、参照されたい。
・書庫「廬山・九江」:ブログ『李白:望廬山瀑布』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38357928.html
○徐凝は中唐の詩人であるから、盛唐の詩人、李白の『望廬山瀑布』詩を知って居て、この詩を創っていると考えられる。李白が『望廬山瀑布』詩で、
日照香炉生紫煙 日は香炉を照らし、紫煙の生ず。
遙看瀑布挂前川 遥かに看る、瀑布の前川に挂かるを。
と、李白にしては、珍しく、温和しい表現で始めているのに対し、徐凝の『廬山瀑布』詩が、
虚空落泉千仞直 虚空に落泉す、千仞の直、
雷奔入江不暫息 雷の奔り江に入りて、暫く息はず。
と、冒頭から、主題を切り出しているところが面白い。
○ただ、李白の『望廬山瀑布』詩の、
飛流直下三千尺 飛流直下、三千尺。
疑是銀河落九天 疑ふらくは是れ銀河の九天より落つるかと。
表現は、尋常では無い。それは、徐凝の『廬山瀑布』詩の、
今古長如白練飛 今古、白練の飛ぶが如く長く、
一条界破青山色 一条、青山の色を界破す。
が、到底、及ぶところではない。それでも、徐凝の『廬山瀑布』詩が佳詩であることは間違いない。
○詩人もなかなか大変である。こうやって、後世の読者は、誰もが見比べて、詩を評価する。そうやって、詩は淘汰されていくしかないのである。徐凝の『廬山瀑布』詩は評価されて、千二百年後の今でも残っている。
○廬山の三叠泉瀑布は見物して来たが、李白や徐凝が『廬山瀑布』として詠った南香炉峰の秀峰に架かる瀑布は、まだ未見である。次回、廬山を訪問したら、是非とも、出掛けてみたい。