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楊広:春江花月夜・其二

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○楊広の『春江花月夜・其一』詩は、以前、本ブログでは紹介済みである。

      春江花月夜:其一
    暮江平不動    暮れに江は平らかにして動かず、
    春花滿正開    春の花は滿ちて正に開かんとす。
    流波將月去    流れる波は將に月を去らんとし、
    潮水帶星來    潮の水は星を帶びて來らんとす。
  ・書庫「鑑真和上の揚州」:ブログ『隋煬帝:春江花月夜』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38810576.html

○その際、楊広の『春江花月夜・其一』詩が何とも素晴らしいのに驚いた。この詩作は尋常の詩人の為せる業では無い。『春江花月夜・其二』詩も気になったが、その時は、それを扱うことはしなかった。

○改めて、詩人楊広を考える際、どうしても『春江花月夜・其二』詩は問題にしておかねばならない作品であると考え、ここに訳しておきたい。

  【原文】
      春江花月夜:其二
         楊広
    夜露含花氣
    春潭漾月暉
    漢水逢游女
    湘川值二妃

  【書き下し文】
      春江花月夜:其二
         楊広
    夜露は花氣を含み、
    春潭は月暉を漾らす。
    漢水游女に逢ふ、
    湘川二妃に值し。

  【我が儘勝手な私訳】
    春の夜露は草花に開花を促し、
    春の川面には月が映じて輝いている。
    春の夜、遥々漢水からやって来たと言う游女と出遭い遊んだが、
    本当は、彼女は湘水の娥皇と女英の二妃の一人なのではないか。

○『春江花月夜・其一』詩と『春江花月夜・其二』詩を並べてみると判るのだが、この二作品は二つで一つの作品となっていることが判る。それぞれがお互いを補い合って作品は成立している。

○表題である『春江花月夜』自体が既に相当の世界を構築している。『春江花月夜・其一』詩が案内するのは、長江下流の東海から押し寄せる廣陵潮であるのに対し、『春江花月夜・其二』詩が案内するのは、長江上流の漢水・湘水からやって来る文化となっている。

○つまり、詩人楊広が言いたいのは、揚州は自然と文化の融合する理想郷だと言うことではないか。それが春の満月の長江の揚州の夜だと言う。ここには、美的条件の全てが完備している、恐ろしいまでの世界である。

○そういうことを、詩人楊広がさり気なく表現している。それがまた驚きである。そういうことは、多分、南岳衡山へ登り、洞庭湖を眺め、黄鶴楼から漢口を望んだ者にしか見えて来ない。

○文化は耕すことだと言われるけれども、まさしく、文化は集積だと言うしかない。「漢水游女」や「湘川二妃」の文言が案内する世界は、兎に角、広い。

○結論から言うと、詩人楊広は自身を舜帝に擬えていることが判る。如何にも隋の煬帝に似付かわしい作品である。こういう作品は彼でなければ歌えない。

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