○「揚州詩咏」(李保華著)には、ただ、蘇轍の「九曲池」とのみ載せるが、実際は「揚州五詠・九曲池」として組詩である。その中で、「九曲池」は冒頭詩となっている。
《扬州五咏 九曲池》
嵇老清弹怨广陵,隋家水调继哀音。
可怜九曲遗声尽,惟有一池春水深。
凤阙萧条荒草外,龙舟相像绿杨阴。
都人似有兴亡恨,每到残春一度寻。
《扬州五咏 平山堂〈欧阳永叔所建。〉》
堂上平看江上山,晴光千里对凭栏。
海门仅可一二数,云梦犹然八九宽。
檐外小棠阴蔽芾,壁间遗墨涕泛澜。
人亡坐使风流尽,遗构仍须子细观。
《扬州五咏 蜀井〈在大明寺。〉》
信脚东游十二年,甘泉香稻忆归田。
行逢蜀井恍如梦,试煮山茶意自便。
短绠不收容盥濯,红泥仍许置清鲜。
早知乡味胜为客,游宦何须更着鞭。
《扬州五咏 摘星亭〈迷楼旧址。〉》
阙角孤高特地迷,迷藏浑忘日东西。
江流入海情无限,莫雨连山醉似泥。
梦里兴亡应未觉,后来愁思独难齐。
只堪留作游观地,看遍峰峦处处低。
《扬州五咏 僧伽塔》
山头孤塔閟真人,云是僧伽第二身。
处处金钱追晚供,家家蚕麦保新春。
欲求世外无心地,一扫胸中累劫尘。
方丈近闻延老宿,清朝留客语逡巡。
○蘇轍が組詩「揚州五詠」で詠うのは、現在の揚州大明寺付近の風景である。ここに隋の煬帝、楊広の離宮、隋宮が存在した。隋宮詩については、これまで幾つか案内している。
・書庫「痩西湖・个園」:ブログ『李商隱:隋宮七言絶句』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39256125.html
・書庫「痩西湖・个園」:ブログ『李商隱:隋宮七言律詩』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39258500.html
・書庫「痩西湖・个園」:ブログ『陳恭尹:隋宮』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39260875.html
○蘇轍の「揚州五詠・九曲池」詩は、次の通り。
【原文】
揚州五詠・九曲池
蘇轍
嵆老清彈怨廣陵
隋家水調繼哀音
可憐九曲遺聲盡
惟有一池春水深
鳳闕蕭條荒草外
龍舟相像楊陰
都人似有興亡恨
毎到殘春一度尋
【書き下し文】
揚州五詠・九曲池
蘇轍
嵆老の清彈しては、廣陵を怨み、
隋家の水調しては、哀音を繼ぐ。
九曲の遺聲の盡くを憐れむべし、
惟だ一池のみ有りて、春水の深し。
鳳闕は蕭條として、荒草の外、
龍舟は相像す、楊の陰。
都人の、興亡の恨み有るに似る、
殘春の到る毎に、一度は尋ねん。
【我が儘勝手な私訳】
嵆康は琴を弾いては、楽曲、廣陵散の素晴らしさを嘆き、
隋朝に、隋の煬帝、楊広が作った水調の調べは悲しい音を奏でている。
嘗て、ここに九曲池が存在し、九曲亭が建っていたと言う話だが、
今では、九曲池の名残の池水があるだけで、春の水を満々と湛えている。
隋朝の宮殿址はひっそりとしてもの寂しく、ただ雑草が生い茂り、
嘗て隋の煬帝の飾り船が浮かんでいた池面には、青々と枝垂れ柳の影を見る。
あたかもそれは、華麗な都人が興廃盛衰を嘆くかのようである、
残り少なくなった春の季節になったら、毎年、一回は尋ねてみる価値がある。
○蘇轍の「揚州五詠・九曲池」詩は、なかなか難しい詩である。竹林の七賢人の一人である嵆康を理解し、廣陵散を理解しないでは、冒頭句すら、満足に理解出来ない。それは次句の水調にしたところで同じである。蘇轍の「揚州五詠・九曲池」詩には、まるで玄言詩の風情と風格がある。
○2014年6月に揚州を訪問した。2013年10月に引き続き、二回目の訪問である。痩西湖から大明寺を望むと、栖霊塔が見えた。痩西湖の中に波光亭と言う建物を見付けた。この波光亭が九曲亭を再現したものであると言うのを、後で知った。