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三山信仰

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○日本には古来、三山信仰が存在する。例えば熊野三山や出羽三山などが知られる。しかし、その熊野三山や出羽三山のルーツを探ると、修験道に辿り着く。

○ちなみに、ウィキペディアフリー百科事典が案内する修験道は、次の通り。
      修験道
   修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的と
  する日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の混淆宗教である。修験宗ともいう。修験
  道の実践者を修験者または山伏という。
  【概要】
   古神道は、森羅万象に命や神霊が宿るとして、神奈備(かむなび)や磐座(いわくら)を信仰の対
  象としたが、それらを包括する山岳信仰と仏教が習合し、さらには密教などの要素も加味されて確立
  した日本独特の宗教が、修験道である。
   修験道は、日本各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって超
  自然的な能力「験力」を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教でもある。この山岳修行者のことを
  「修行して迷妄を払い験徳を得る」ことから修験者、または山に伏して修行する姿から山伏と呼ぶ。
   修験道の修行の場は、日本古来の山岳信仰の対象であった大峰山(奈良県)や白山(石川県)など、
  「霊山」とされた山々であった。中でも、熊野三山(熊野の本宮・新宮・那智の3社)への信仰(熊
  野信仰)は、平安時代の中期から後期にかけて、天皇をはじめとする多くの貴族たちの参詣を得て、
  隆盛を極めた。
   修験道は神仏習合の信仰であり、日本の神と仏教の仏(如来・菩薩・明王)がともに祀られる。表
  現形態として、権現(神仏が仮の姿で現れた神)などの神格や王子(参詣途上で儀礼を行う場所)が
  ある。
   だが、実際には神道としての側面は希薄で、神仏習合といっても、仏教としての側面が極めて強い
  宗派である。例として、神道で用いられる祭祀や祝詞(大祓詞など)を用いておらず、経典で示され
  るものや真言を唱えるものばかりである。要するに修験道の大半は、神仏習合の権現や明神を主神と
  しており、本地垂迹の仏教の仏を祭祀している。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93

○しかし、熊野へ出掛けてみれば判ることだが、熊野三山とされる熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社のいずれも山が信仰の対象とはなっていない。つまり、熊野三山は三山と称しながら、その実、山では無いことが判る。

○上記した修験道の説明に、
   修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的と
  する日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の混淆宗教である。
とあるけれども、『日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた』と言う記述も、『日本独特の混淆宗教である』記述にしたところで、まるで根拠の無い話と言うしかない。

○修験道の起源を大峰山に求め、修験道は奈良時代に役小角が創始したとされるけれども、大峰山へ参詣してみれば判ることだが、修験道の原型は鹿児島県三島村の硫黄島にあるのであって、奈良県に修験道を持ち込んだのが役小角だとするしかない。

○それは大峰山に三山信仰が存在することからも明らかである。大峰三山は次のようになる。
  ・大峰山(山上ケ岳:1719叩
  ・稲村ケ岳(1726叩
  ・大天井ケ岳(1438叩

○この大峰三山自体が実は硫黄島から勧請されたものであることを知る。詳しくは、以下を参照されたい。
  ・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『大峰三山』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34866387.html

○実は、熊野や大峰山そのものが三山信仰であることにも、誰も気付いていない。名付けて「神代三山陵の先坣僑位」と言う。具体的には神代三山陵の先坣僑位は、
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=吉野山
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=高野山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=熊野本宮
と言うことになる。このことについても、本ブログではこれまで何度も言及している。
  ・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』:2012年1月
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36153537.html
  ・書庫「天孫降臨の世界山」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』:2013年2月
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37562773.html
  ・書庫「世界上最美麗華貴之城:杭州」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』:2013年7月
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38003388.html
  ・書庫「日本仏教伝来の普陀山」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』:2014年1月
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38510185.html
  ・書庫「「おしえて邪馬台国」の不思議」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』:2014年9月
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39078939.html

◎南九州には、いくらでも三山信仰を確認することが出来る。
 【屋久島三岳】
  ・宮之浦岳(1936叩
  ・永田岳(1886叩
  ・黒味岳(1831叩
 【内之浦三岳】
  ・国見岳(886叩
  ・黒尊岳(908叩
  ・甫与志岳(966叩
 【硫黄島三岳】
  ・硫黄岳(703叩
  ・矢筈岳(349叩
  ・稲村岳(236叩

◎邪馬台国三山も、実はそういう三山信仰の一つに過ぎない。
 【邪馬台国三山】
  ・畝傍山=霧島山(1700叩
  ・香具山=桜島山(1117叩
  ・耳成山=開聞岳( 924叩

◎修験道は、『日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた』ものでも無いし、『日本独特の混淆宗教である』わけでも無い。修験道は、おそらく、そっくりそのまま中国から日本へ移入された文化だとするしかない。そのことは、中国の仏教聖地である南岳衡山や廬山、九華山、天台山、普陀山などを尋ね歩けば容易に理解されることである。詳しくは、以下のブログを参照されたい。
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:31個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1204492.html?m=l&p=1
  ・書庫「天台山国清寺」:25個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1204493.html?m=l&p=1
  ・書庫「廬山・九江」:42個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1234221.html?m=l&p=1
  ・書庫「九華山・黄山」:31個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1234224.html?m=l&p=1
  ・書庫「南岳衡山」:29個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1255205.html?m=l&p=1

◎意外に仏教が日本へ伝来したのは古い。仏教公伝は538年とも552年とも言われるけれども、陳寿の「三国志」を読む限り、三世紀に日本へ仏教が伝来していることは疑いない。邪馬台国三山にしたところで、そういう仏教と山岳信仰が融合したところの聖地なのである。

◎これまで、中国の南岳衡山や廬山、九華山、天台山、普陀山へ参拝し、中国五山である径山寺・霊隠寺・天童寺・浄慈寺・阿育王寺へ参詣して来たのも、そういう理由からである。宗教を知らないで古代を語ることは出来ない。

◎日本の古い仏教に修験道や辯才天信仰が関係していることも見逃せない。大峰山や安芸の宮島・竹生島・天川村・江之島を知らないで、日本の古代佛教を語ることは出来ない。本ブログでは、一応、そういうところは全て参拝済みである。

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