○清明文学について考えているが、前回案内したのは、魏野の「清明」詩であった。魏野の「清明」詩がどういうものであるか。前回、そのことについては、以下のように書いている。
もともと、清明そのものが清々しいものであるのに加えて、詩人魏野は道士でもあるから、魏野の
「清明」詩は爽快そのものと言った風情がある。なかなかこのように表現することは難しい。魏野の
生き様から生まれた詩と言うことが出来よう。
文学の面白さは、時として、こういう出遭いがあることにある。北岳恒山が私に巡り合わせてくれ
た詩人が魏野である。その思想は爽やかそのもので清々しい。なかなかこういう達観に出合うことは
少ない。
○その魏野について、中国の検索エンジン百度の百度百科では、次のように載せている。
魏野(北宋诗人)
魏野(960~1019),字仲先,号草堂居士,北宋诗人。他原为蜀地人,后迁居陕州(今河南陕县)。
诗效法姚合、贾岛,苦力求工;但诗风清淡朴实,并没有艰涩苦瘦的不足。他一生清贫,却又不随波逐
流,为后人称道。代表诗作有《寻隐者不遇》等。
http://baike.baidu.com/subview/108917/8470742.htm
○この中に、「代表诗作有《寻隐者不遇》等」と言う記事が載っているのが気になった。実は賈島に同じ題名の「尋隱者不遇」詩が存在するからである。直接、清明文学とは関係無いのだけれども、気になるものは仕方が無い。魏野の「尋隱者不遇」詩と賈島の「尋隱者不遇」詩について、触れておきたい。
○まず、今回は、魏野の「尋隱者不遇」詩について。
【原文】
尋隱者不遇
魏野
尋真誤入蓬萊島
香風不動松花老
采芝何處未歸來
白雲遍地無人掃
【書き下し文】
隠者を尋ぬれども遇はず
魏野
真を尋ぬるに、誤りて蓬莱島に入る、
香風は松花を動かさずして老ゆ。
芝を採りに何れの処にか、未だ帰り来らず、
白雲の地に遍くて、人無く掃く。
【我が儘勝手な私訳】
真人を探しに出掛けたところ、誤って蓬莱島へ辿り着いてしまった、
春風は微風で、松花を全く揺らさないのに、何故か花は散っている。
真人は霊芝を採りに出掛けたままで、何時帰って来るとも知れない、
真人の住む霊山は白雲が湧き地を覆い、人も居ないのに掃いている。
○魏野が目指した文学と言うのは、こういうところにあったのだろう。その透明感は素晴らしい。漱石流に言えば、
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩であ
る、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れ
ば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬともきゅう鏘の音は胸裏に起こる。丹青は画架に
向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自ずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方
寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、
無色の画家には尺けんなきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点におい
て、かく清浄界出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利
私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よ
りも幸福である。
と言うことになるのであろう。もちろん、漱石が目指す文学も、また魏野と同じだと言うことになる。
○それが具体的にはどういうことであるかについても、漱石はしっかり答えてくれている。
うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏
に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、
南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれ
る。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立して
いる。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道
徳、礼義で疲れ果てた後のちに、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
○漱石が言う、
採菊東籬下、悠然見南山
が陶淵明「飲酒」の一節であることは言うまでもない。詳しくは、以下を参照されたい。
・書庫「廬山・九江」:ブログ『陶淵明:飮酒二十首・其五』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38320297.html
○『独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照』は王維の五言絶句「竹里館」である。
竹里館
王維
独坐幽篁裏 独り坐す、幽篁の裏、
弾琴復長嘯 琴を弾じ、復た長嘯す。
深森人不知 深森、人知らざるも、
明月来相照 明月来たりて、相照らす。
○漱石が言う、陶淵明「飲酒」詩や王維の「竹里館」詩と比較しても、魏野の「尋隱者不遇」詩世界は、まるで遜色ない。魏野がどんなに優れた詩人であったかがよく判る。
もともと、清明そのものが清々しいものであるのに加えて、詩人魏野は道士でもあるから、魏野の
「清明」詩は爽快そのものと言った風情がある。なかなかこのように表現することは難しい。魏野の
生き様から生まれた詩と言うことが出来よう。
文学の面白さは、時として、こういう出遭いがあることにある。北岳恒山が私に巡り合わせてくれ
た詩人が魏野である。その思想は爽やかそのもので清々しい。なかなかこういう達観に出合うことは
少ない。
○その魏野について、中国の検索エンジン百度の百度百科では、次のように載せている。
魏野(北宋诗人)
魏野(960~1019),字仲先,号草堂居士,北宋诗人。他原为蜀地人,后迁居陕州(今河南陕县)。
诗效法姚合、贾岛,苦力求工;但诗风清淡朴实,并没有艰涩苦瘦的不足。他一生清贫,却又不随波逐
流,为后人称道。代表诗作有《寻隐者不遇》等。
http://baike.baidu.com/subview/108917/8470742.htm
○この中に、「代表诗作有《寻隐者不遇》等」と言う記事が載っているのが気になった。実は賈島に同じ題名の「尋隱者不遇」詩が存在するからである。直接、清明文学とは関係無いのだけれども、気になるものは仕方が無い。魏野の「尋隱者不遇」詩と賈島の「尋隱者不遇」詩について、触れておきたい。
○まず、今回は、魏野の「尋隱者不遇」詩について。
【原文】
尋隱者不遇
魏野
尋真誤入蓬萊島
香風不動松花老
采芝何處未歸來
白雲遍地無人掃
【書き下し文】
隠者を尋ぬれども遇はず
魏野
真を尋ぬるに、誤りて蓬莱島に入る、
香風は松花を動かさずして老ゆ。
芝を採りに何れの処にか、未だ帰り来らず、
白雲の地に遍くて、人無く掃く。
【我が儘勝手な私訳】
真人を探しに出掛けたところ、誤って蓬莱島へ辿り着いてしまった、
春風は微風で、松花を全く揺らさないのに、何故か花は散っている。
真人は霊芝を採りに出掛けたままで、何時帰って来るとも知れない、
真人の住む霊山は白雲が湧き地を覆い、人も居ないのに掃いている。
○魏野が目指した文学と言うのは、こういうところにあったのだろう。その透明感は素晴らしい。漱石流に言えば、
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩であ
る、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れ
ば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬともきゅう鏘の音は胸裏に起こる。丹青は画架に
向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自ずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方
寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、
無色の画家には尺けんなきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点におい
て、かく清浄界出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利
私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よ
りも幸福である。
と言うことになるのであろう。もちろん、漱石が目指す文学も、また魏野と同じだと言うことになる。
○それが具体的にはどういうことであるかについても、漱石はしっかり答えてくれている。
うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏
に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、
南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれ
る。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立して
いる。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道
徳、礼義で疲れ果てた後のちに、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
○漱石が言う、
採菊東籬下、悠然見南山
が陶淵明「飲酒」の一節であることは言うまでもない。詳しくは、以下を参照されたい。
・書庫「廬山・九江」:ブログ『陶淵明:飮酒二十首・其五』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38320297.html
○『独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照』は王維の五言絶句「竹里館」である。
竹里館
王維
独坐幽篁裏 独り坐す、幽篁の裏、
弾琴復長嘯 琴を弾じ、復た長嘯す。
深森人不知 深森、人知らざるも、
明月来相照 明月来たりて、相照らす。
○漱石が言う、陶淵明「飲酒」詩や王維の「竹里館」詩と比較しても、魏野の「尋隱者不遇」詩世界は、まるで遜色ない。魏野がどんなに優れた詩人であったかがよく判る。