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孫永:清明

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○今年、4月4日が清明節であった。それを機会に、中国の清明文学について、触れてきた。これまで、中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる「清明」の話を続けている。それが、杜牧の「清明」詩であり、黄庭堅の「清明」詩、魏野の「清明」詩であった。

○今回案内するのは、孫永の「清明」詩である。孫永も、日本ではほとんど知られていない詩人である。中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する孫永は、次の通り。

      孙永(北宋官员)
   孙永(1019—1086),字曼叔,世为赵人,徙长社(今河南许昌)。
      中文名: 孙永      别名: 曼叔
      出生日期: 1019     逝世日期: 1086
   以祖荫为将作监主簿。仁宗庆历六年(一○四六)进士,补襄城尉。英宗治平二年(一○六五)为诸
  王府侍读(《续资治通鉴长编》卷二○六)。神宗即位,历河北、陕西都转运使,知秦州、和州、瀛
  州。熙宁六年(一○七三),权知开封府。八年,知颍州,权判北京留司御史台(同上书卷二六一、二
  六九)。元丰元年(一○七八),知太原府。七年,知陈州、颍昌府。哲宗元祐元年(一○八六)召拜
  工部尚书,改吏部。二年,进资政殿学士兼侍读,提举中太一宫,未拜而卒,年六十八。谥康简。有文
  集三十卷,已佚。事见《苏魏公集》卷五三《孙公神道碑铭》,《宋史》卷三四二有传。
  http://baike.baidu.com/subview/1048053/6216653.htm#viewPageContent

○その孫永の「清明」詩は、次の通り。

  【原文】
      清明
        孫永
    每年每遇清明節
    把酒尋花物地忙
    今日江頭衰病起
    神前新火一爐香

  【書き下し文】
      清明
        孫永
    毎年、清明節に遇ふ毎に、
    酒を把り花を尋ねて地を物するに忙たり。
    今日、江頭にて衰病の起こり、
    神前の新火、一炉の香。

  【我が儘勝手な私訳】
    これまで、毎年毎年、清明節がやって来ると言っては、
    酒宴を開いたり、花やあちこちを尋ね歩くのに忙しかった。
    ところが今年の清明節の日、江辺で衰弱病に罹り、
    外出もせず、神前に新しい火を点し、香炉を焚いて先祖を祀ることである。

○孫永の「清明」詩を読むと、孫永の「清明」詩が、何とも絶句の様式を生かした作詩であることに感心させられる。起承転結と言うのは、まさしく、こういうものを指すのであろう。そういう典型を孫永の「清明」詩に見ることができる。

○どういうことかと言うと、まず、起句で文を起こし、承句でそれを受け、起句を発展させたのが承句である。そういうものを孫永の「清明」詩が何とも見事に表現していることに驚く。

○もっと凄いのは、転句であり、結句である。起句承句とどれだけ落差があるかが、転句の生命であり、作者の腕の見せ所である。それをこういうふうに表現する実力は尋常ではない。そのさり気なさが凄いのである。

○清明節が何であるかは、この結句を読むと判る。まあ、何とも自然に、それでいて正確に清明節を案内する詩であることに感心させられる。なかなかこういうふうに表現できない。それが孫永の「清明」詩の魅力であろう。

○李白みたいに、耳目を驚かすのも手であるが、こういう自然体の詩は、読んで楽しいし、耳目に心地よい。絶句中の絶句と言えよう。それでいて、今年の清明節が特別であることを、この詩はしっかり伝えてくれている。

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