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張籍:寒食看花

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○今年、2016年4月4日が清明節であった。清明寒食節についての文学が中国には多い。そういうものを、このあたりで一回整理してみたい。そういうつもりで、清明寒食詩をこれまで案内してきた。杜牧の「清明」詩から始めて、前回の貫休「寒食郊外」詩までで、ちょうど26作品を紹介してきた。

○ただ、中国には清明寒食節についての文学は数多存在する。このシリーズが何処まで続くか、書いている本人にも皆目不明と言うしかない。今日はもう5月2日である。4月20日が穀雨だったし、5月5日は立夏となるというのに。取り敢えず、切りの良いところまで続けるしかない。

○今回案内するのは、張籍の「寒食看花」詩である。

  【原文】
      寒食看花
         張籍
    早入公門到夜歸
    不因寒食少閑時
    顛狂繞樹猿離鎖
    踴躍縁岡馬斷羈
    酒污衣裳從客笑
    醉饒言語覓花知
    老來自喜常無事
    仰面西園得詠詩

  【書き下し文】
      寒食に花を看る
         張籍
    早に公門に入り、夜に到りて帰る、
    寒食に因らず、少しく閑なる時。
    顛狂、樹を繞りて、猿は鎖を離れ、
    踊躍、岡に縁ひて、馬は羈を断つ。
    酒は衣裳を汚し、客に従ひて笑ひ、
    酔は言語を饒し、花を覓めて知る。
    老来自ら喜び、常に事無く、
    西園に面し仰げば、詩を詠むを得。

  【我が儘勝手な私訳】
      寒食節に、春の花を尋ね歩く、
    いつもは朝早く出勤し、帰るのは大概、夜になってからである、
    寒食節の日、別に寒食節と関係なく、ちょっと暇があった。
    こういう時、私は木を廻って猿が鎖から解放されたかのように物狂い、
    こういう時、私は岡に沿って馬が手綱を断ち切るかのように熱心になる。
    たとえ、酒で衣服を汚すようなことがあっても、お客さんと一緒に談笑し、
    どんなに酔いで言葉が饒舌になったとしても、春の花を探して彷徨い歩く。
    これまで特に何事も無く、こういう年寄りとなったことを喜び、
    西の方角を望むと、ちょうど夕陽が落ちる時で美しく、この詩を詠むことが出来た。

○中国の検索エンジン百度の百度百科には、張籍の「寒食看花」詩の項目が存在する。

      寒食看花
  http://baike.baidu.com/item/%E5%AF%92%E9%A3%9F%E7%9C%8B%E8%8A%B1

○ただ、『百度百科』が案内するのは、「作品原文」と「作者简介」を載せるだけで、何とも寂しいものに過ぎない。もう少し、どうにかならないものか。

○また、『百度百科』が案内する張籍は、次の通り。

      张籍
   张籍(约766年 — 约830年),字文昌,唐代诗人,和州乌江(今安徽和县乌江镇)人。汉族,先世
  移居和州,遂为和州乌江(今安徽和县乌江镇)人。世称“张水部”、“张司业”。张籍为韩门大弟
  子,其乐府诗与王建齐名,并称“张王乐府”。著名诗篇有《塞下曲》《征妇怨》《采莲曲》《江南
  曲》《秋思》等。其中《秋思》为人教版语文五年级上册第五课《古诗词三首》第二首诗,沪教版语文
  六年级上册第一单元《每周一诗》第二首古诗。
  http://baike.baidu.com/view/16858.htm

○日本のウィキペディアフリー百科事典にも、何とか、貧しい説明があった。

      張籍
   張 籍(ちょう せき、766年? - 830年?)は、中国・唐代中期の詩人。字は文昌。
   原籍は呉郡(蘇州)だが、和州烏江(安徽省和県)に生まれた。799年に進士となる。寒門出身の
  ためあまり出世ができず、秘書郎・水部員外郎・主客郎中を経て、師友の韓愈の推薦があり国子博士
  から国子司業に至った。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E7%B1%8D

○上記説明中「師友の韓愈」は、「詩友」の誤りだろう。あまり参考にならない。出身が「和州乌江(今安徽和县乌江镇)人」だというのに驚いた。

○『安徽和县乌江镇』は南京からが近い。郊外バスで1時間くらい。項羽の西楚覇王霊祠が存在することで知られる。2014年6月20日に参詣したことがある。

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