○2016年5月22日(日)、「肝付町三岳まいり」で、最後の甫与志岳(966叩忙劃困卜ったのは、16時13分だった。山頂はガスが懸かっていて、何も見えない状態であった。それに巨岩の上だから、たいへん風が強かった。それで寒さを感じて、ここに長時間滞在することは難しい状況であった。
○山頂で20分ほど待つ間に、半分以上は到着したが、まだ10名以上が着いていない状況であった。このまま全員で待っていることの方が難しく思われたので、取り敢えず、先発隊は下山することとなった。
○行程表では、甫与志岳(966叩忙劃困乃念写真の集合写真を撮ることとなっていたのだが、それは川上やまびこ館で撮影することとなった。
○肝付町観光協会から頂戴した「三岳まいり(三岳縦走)行程表」では、甫与志岳(966叩忙劃催紊14時30分で、下山が15時30分となっていた。
○ところが実際は甫与志岳(966叩忙劃催紊16時13分で、45分ほど遅れていたし、それもまだ全員が到着しているわけでもなかった。私たちが下山開始したのは、16時35分頃で、「三岳まいり(三岳縦走)行程表」では、
・下山:15:30~16:30(60分)
甫与志岳頂上→姫門登山口
とあった。下山開始時間が60分以上遅れているわけであった。
○別資料の「三岳ルート・所要時間等一覧」に拠れば、甫与志岳から姫門登山口までは、
・1、3辧В苅以
とあった。天気が悪いせいか、もうすでに林間は暗くなりつつあった。
○甫与志岳から姫門登山口への登山道は、極めて急傾斜であるのに驚いた。山頂直下と、二カ所ほどロープが設置されているところあたりが、もっとも急であった。逆コースの姫門登山口から甫与志岳までは、
・1、3辧В牽以
と時間設定されているのが納得される。と言うか、私の体力なら、120分ほど要するのではないかと思われた。このコースは、あまり登りたくない。
○姫門登山口到着は、17時05分であったから、山頂から30分で下山したことになる。もっとも、その時のメンバーは5,6名だったから、全体は40分ほどかかったのではないか。
●国見平(670叩砲鬘校械以頃に出発して始まった「肝付町三岳まいり」だったが、トータル時間数は7時間35分だったと言うことになる。
●肝付町観光協会から頂戴した「三岳まいりツアー」の『その他、注意事項』には、
・縦走経路はおよそ10劭兄孱械以くらいです。
とあるけれども、それにはピッタリ一致していることになる。
●姫門登山口には、マイクロバスと数台の車が出迎えてくださっていた。縦走ではこういう出迎えが無いとなかなか縦走できない。その点が何とも有り難かった。
●二回目の国見山・黒尊岳・甫与志岳縦走であったが、なかなか大変なコースであるとしみじみ思った。最初に登った時には、ここを再度縦走することは難しいのでは無いかと思っていた。それは登り口と下山口が完全に違うからである。その点、今回の縦走では送り迎えしていただいたのだから、縦走出来たわけである。
●その後、川上やまびこ館へマイクロバスで移動して、休憩後、再び肝付町役場へ行き、そこで解散。川上やまびこ館で18時頃で、解散したのは19時近くであった。
●何事も無く、無事「三岳まいりツアー」が終了したことがうれしい。係の方は、時間が遅くなったことを心配されていたが、皆が無事下山出来たのだから、ツアーは大成功である。肝付町観光協会や役場、三岳山岳会の方々に感謝申し上げたい。
●もともと「10辧Γ兄孱械以の三岳まいり」自体がハードな計画なのである。普通の旅行とは全然違う。それも42名もの大人数で決行なさったのだから、大変である。さいわい、天気には恵まれた。
◎ただ、「肝付町三岳まいり」が、もともとどういうものであるかは、少し研究される必要があるのではないか。江戸時代、鹿児島に白尾國柱と言う国学者が居て、「麑藩名勝考」と言う書物を書いている。
◎その「麑藩名勝考」のなかに、『肝付町三岳まいり』の話が出ている。参考となるのではないか。また、本ブログではすでに『肝付町三岳まいり』がどういうものであるかを明確にしている。しばらく、そういう話も書いてみたい。
◎白尾國柱や「麑藩名勝考」については、以下のブログを参照されたい。
・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:白尾國柱と神代三山陵
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36146249.html