○神代三山陵がどういうものであり、それが現在どういうふうに比定されているのか。また、江戸時代に白尾國柱がそれをどういうふうに比定したか。更に、白尾國柱の神代三山陵の研究を継承すれば、どういうふうに真実の神代三山陵が出現するかについて、これまで長々と話してきた。
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『白尾國柱と神代三山陵』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40398612.html
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『神代三山陵:吾平山陵』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40400896.html
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『神代三山陵:高屋山陵』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40403073.html
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『神代三山陵:可愛山陵』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40404444.html
○結果、真実の神代三山陵は、次のようであることが判った。
初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵
○しかし、いくら真実の神代三山陵はこういうものだと唱えたところで、神代三山陵そのものが古代人が作った神話の世界の話では無いか。そういう創作物をいくら推論したところで仕方が無いだろう。そういうふうにおっしゃるかも知れない。それに、二十一世紀の現代に於いて、神代三山陵が何処に存在したか、それを証明するなど、不可能だろうとおっしゃるに違いない。
○当然、私もそう思っていた。いまさら、どう足掻いたところで真実の神代三山陵を証明することなど出来ない。せいぜい、これが真実の神代三山陵だと比定して終わりだろうと考えていた。
○ところが、意外なところから、真実の神代三山陵がどういうものであったかを、二十一世紀の現代に於いても証明出来ることが判って驚いた。話せば随分長くなるので、ここではかいつまんで簡単に結論だけを話するしかない。
●「古事記」や「日本書紀」を読むと、日本の始まりは初代天皇である神武天皇が日向国から大和国へ東征し、天皇に即位したことから始まるとされている。つまり、日向国には、東征する前の神武天皇の祖先が生活していたわけである。それらの祖先の御陵が神代三山陵だと言うわけである。
●古代が宗教の時代であることは間違いない。生活の隅々にまで、深く宗教が入り込んでいた。その中でも、古代人の中で大事にされていたのが祖霊信仰とか祖先崇拝と言われるものであった。
●日向国から大和国へ東征した神武天皇は、そういう祖先崇拝を放擲したかと言うと、どうもそうでは無いらしい。神武天皇はしっかり大和国で祖先崇拝を成し遂げていると言えよう。それが神代三山陵の先坣僑位である。
●故郷を遠く離れた者が、祖先を祀るために建てたお墓が先坣僑位である。神武天皇は大和国へ入ると、そこにしっかり神代三山陵の先坣僑位を営んでいる。そんな話はこれまで聞いたことが無いとおっしゃるかも知れない。それもそのはずで、真実の神代三山陵同様、おそらく、神代三山陵の先坣僑位を発見したのも本ブログが最初だと自負している。
◎2008年頃、幾度と無く奈良県を歩いていた。その目的は吉野山の正体を突き止めることにあった。そこのとについては、以下のブログに詳しく書いている。
・書庫「吉野山の正体」:29個のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/389714.html?m=l&p=1
◎2009年には、おおよそ吉野山の正体とともに、神代三山陵の先坣僑位そのものが何であるかを理解出来た。その記念旅行が以下のブログに書かれている。
・書庫「熊野から天川村・吉野・国中への旅」:17個のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1177040.html?m=l&p=1
◎2011年に、最終的な確認作業を行った。それが以下のブログである。
・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:33個のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1201609.html?m=l&p=1
◎おそらく5年越しの推考と検証ではなかったか。結果、近畿地方には神代三山陵の先坣僑位が存在することを確認した。それは以下の通りとなる。
・可愛山陵=吉野山:奈良県吉野郡吉野町及び天川村
・高屋山陵=高野山:和歌山県伊都郡高野町高野山
・吾平山陵=熊野本宮:和歌山県田辺市本宮町本宮
◎現在、これらは『紀伊山地の霊場と参詣道』として、世界文化遺産に登録されている。神代三山陵の先坣僑位が世界遺産なら、その本家本元は、もっと凄い話である。それが日本の歴史に於ける神代三山陵の本当の意義であり、価値なのである。なかなか人はそういうことをよく理解出来ない。
◎もちろん、これを突き止めるには、膨大な時間と労力を費やしている。しかし、その成果は十分なものであると言えよう。何故なら、到底、不可能なはずの神代三山陵が何処にどういうふうに存在したかを、この神代三山陵の先坣僑位が証明してくれるのだから。
◎どういうことかと言うと、神代三山陵の先坣僑位と言うのは、ある意味、真実の神代三山陵のレプリカなのである。当然、レプリカは本物そっくりに作る。それは当たり前のことである。だから、神代三山陵のレプリカからは、容易に真実の神代三山陵のイメージを知ることが出来るはずだろう。
◎そういう意味で、今一度、近畿地方に存在する神代三山陵の先坣僑位を眺めて欲しい。
・可愛山陵=吉野山:奈良県吉野郡吉野町及び天川村
・高屋山陵=高野山:和歌山県伊都郡高野町高野山
・吾平山陵=熊野本宮:和歌山県田辺市本宮町本宮
◎そうすれば、もともと日向国に存在した本物の神代三山陵がどういうものであったかを知ることが出来る。それはまさしく、次のようになると言うしかない。
初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵
◎神代三山陵のレプリカでさえ、世界遺産になり得るのである。それなら、本物の神代三山陵がどれくらい大事なものであるかが理解されるのではないか。日本ではそれが等閑にされている。日本と言う国はそれくらいいい加減な国なのである。
◎もちろん、吉野山や高野山、熊野本宮には参拝済みで、そのことは確認済みである。ところが吉野山も高野山も熊野本宮も、まるでそのことをご存じ無い。あれだけ建物は立派だし、あれだけ研究されているのに、吉野山も高野山も熊野本宮も、全く自分たちの本質が何であるか、ご存じ無いのである。なかなか真実を知ることは難しいし、時間を要するのである。
◎鹿児島県には本物の神代三山陵が存在するのである。神代三山陵のレプリカでさえ、世界遺産になっているだから、本物の神代三山陵はさぞかし大事にされているだろうと、誰もが思う。しかし、本物の神代三山陵は認知さえされていないのが現状である。
◎神代三山陵とは何か。それは日本の原郷であり、日本人の故郷だと白尾國柱は教えてくれる。実は天皇家の故郷が神代三山陵なのでもある。そういうものを私は大事にしたい。
◎本物の神代三山陵である、鹿児島県の、
初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵
を地元の方がご存じ無い。あまりに寂しい話である。甫与志岳(叶岳)も国見山も吾平山陵もすぐ近くにせっかく存在するのに。
◎今回、『第3回肝付町三岳まいりツアー』を主催されたのは、肝付町観光協会であった。せっかくなら、肝付町は鹿屋市と提携して神代三山陵を売り出したらとお勧めしたい。レプリカでも世界遺産になるほどの代物が神代三山陵なのだから、観光には最適だと私には思えてならないのだが。