○前回、清明節寒食節文学の69番目として、韋応物の「清明日憶諸弟」詩を案内した。今回案内するのは、韋荘の「長安清明」詩である。『百度百科』が案内する韋荘は、次の通り。
韦庄
韦庄(约836年— 约910年),字端己,汉族,长安杜陵(今中国陕西省西安市附近)人,晚唐诗人、
词人,五代时前蜀宰相。出身京兆韦氏东眷逍遥公房,文昌右相韦待价七世孙、苏州刺史韦应物四世孙。
早年屡试不第,直到乾宁元年(894年)年近六十时方考取进士,任校书郎。李询为两川宣瑜和协使
时,召韦庄为判官,奉使入蜀,归朝后升任左补阙。
天复元年(901年),韦庄入蜀为王建掌书记,自此终身仕蜀。天祐四年(907年),韦庄劝王建称
帝,任左散骑常侍,判中书门下事,定开国制度,举荐张道古等忠直文人。官终吏部侍郎兼平章事,卒
谥文靖。宋代张唐英撰《蜀梼杌》曾高度评价:“不恃权,不行私,惟至公是守,此宰相之任也。”
韦庄工诗,其诗多以伤时、感旧、离情、怀古为主题。其律诗圆稳整赡、音调浏亮,绝句情致深婉、
包蕴丰厚,发人深思;其词多写自身的生活体验和上层社会之冶游享乐生活及离情别绪,善用白描手
法,词风清丽。与温庭筠同为“花间派”代表作家,并称“温韦”。所著长诗《秦妇吟》反映战乱中妇
女的不幸遭遇,在当时颇负盛名,与《孔雀东南飞》、《木兰诗》并称“乐府三绝”。有《浣花集》十
卷,后人又辑其词作为《浣花词》。《全唐诗》录其诗三百一十六首。
http://baike.baidu.com/view/64174.htm
○上記説明にあるように、韋荘は韋応物の四世孫になる。韋応物も優れた詩人であったが、韋荘もなかなか遜色ない詩人である。韋荘の「長安清明」詩は、次の通り。
【原文】
長安清明
韋莊
蚤是傷春夢雨天
可堪芳草更芊芊
內官初賜清明火
上相閑分白打錢
紫陌亂嘶紅叱撥
楊高映畫秋千
游人記得承平事
暗喜風光似昔年
【書き下し文】
長安清明
韋荘
蚤くも是れ春を傷みて夢雨の天、
芳草は更に芊芊たるに堪ふべし。
内官は初めて賜ふ、清明火、
上相は閑かに分かつ、白打銭。
紫陌は乱嘶す、紅叱撥、
緑楊は高映す、秋千を画く。
遊人は記得す、承平の事、
暗かに喜ぶ、風光の昔年に似るを。
【我が儘勝手な私訳】
早くも感傷的な春が訪れ、煙るような春雨が降っている、
春草がいよいよさらに一層大きく立派に茂っているのを知る。
宮中では、清明節の風物である、新しい火が臣下に下賜され、
大臣たちは、清明節の風物である、蹴鞠や闘鶏に夢中になっている。
大道では、駿馬たちが嘶き大騒ぎしながら通り過ぎて行き、
緑の柳枝は、春風に戦いでブランコとなって上下している。
老人である私は天下泰平であった昔のことをよく覚えていて、
こっそり、現在の春の景色が昔の風景とよく似ていることを喜んでいる。
○詩題には「長安清明」とあるけれども、その長安の都は韋荘の故郷でもある。長安の清明節の風物を上手く韋荘が詠っているのに驚く。その感覚は日本人の私とは随分違う。なかなか漢詩を日本人が理解することは容易ではない。
○それでも、こうやって漢詩を訳すことは楽しい。一詩一句、何が出現するか判らない。そういう楽しみが漢詩を訳す楽しみである。