○清明節寒食節文学の75番目として案内するのは、柳永の「木蘭花慢・拆桐花燗漫」詞である。木蘭花慢とは、詞碑名で、『百度百科』には、次のようにある。
木兰花慢
木兰花慢,词牌名。原为唐教坊曲。《金奁集》入“林钟商调”,五十五字,前后片各三仄韵,不同
部换叶。代表作有辛弃疾词《木兰花慢·席上送张仲固帅兴元》等。
中文名: 木兰花慢 字数: 五十五字或五十六字
创调者: 不详 代表作: 《木兰花慢·拆桐花烂漫》
http://baike.baidu.com/view/197641.htm
○柳永の「木蘭花慢・拆桐花燗漫」詞は、次の通り。
【原文】
木蘭花慢・拆桐花爛漫
柳永
拆桐花爛漫,乍疏雨、洗清明。
正艷杏澆林,湘桃繡野,芳景如屏。
傾城、盡尋勝去,驟雕鞍紺幰出郊坰。
風暖繁弦脆管,萬家競奏新聲。
盈盈。斗草踏青。
人艷冶、遞逢迎。
向路傍往往,遺簪墮珥,珠翠縱。
歡情。對佳麗地,信金罍罄竭玉山傾。
拚卻明朝永日,畫堂一枕春酲。
【書き下し文】
木蘭花慢・拆桐花燗漫
柳永
桐花の燗漫たるを拆れば、乍ち疎雨の、清明を洗ふ。
杏の澆林は正に艶にして、湘桃繍野、芳景は屏の如し。
傾城は勝を尋ね尽くして去り、彫鞍紺幰を驟せて郊坰に出づ。
風は暖かく弦は繁にして管は脆にして、万家は新声を競奏す。
斗草踏青を盈盈として、人は艶冶にして、逓で逢迎す。
向の路傍に往往として、簪の遺ち珥の堕ち、珠翠の縦横す。
佳麗の地に対して歓情し、金罍罄を信じて竭くせば、玉山の傾く。
明朝永日を拚却して、画堂にて春酲を一枕せん。
【我が儘勝手な私訳】
桐の花が爛漫に咲いているのを手折り飾っていると、
急に、ぱらぱらと春雨が降り始め、清明節の全てのものを新鮮にする。
杏樹の疏らな林はちょうど今が花盛りの季節で、
桃の花が緑の野を飾り、美しい景色はまるで屏風絵のようである。
美しい女性は、景勝の地を尋ね求めて外出し、
着飾った馬や馬車に乗って、遠近の郊外へと出掛ける。
春風があくまで暖かい中、管弦を鳴らしては、
何処の家でも競うように音楽を奏でているのが聞こえて来る。
人々は斗草や踏青の行事にいそいそと、
美しく着飾って。馬車に乗り馬に跨って出掛ける。
したがって、人々の出掛けた先の道端のあちこちには、
髪飾りや耳飾りが落ちていたり、珠玉や翠玉を拾ったりする。
風光明媚なところで男女が楽しく過ごし、
酒を飲み大いに酔ってしまうと、立派な山が傾き倒れるかのようである。
明日は朝から終日を費やして、
立派な部屋で、春の一日中、二日酔いで苦しむに違いない。
○清明節は、中国で最も美しい季節である。その清明節の季節を存分に楽しみ、謳歌する人々の話が柳永の「木蘭花慢・拆桐花燗漫」詞となっている。季節も佳いし、人も美しいし、詞も美しい。まさに申し分無い世界が柳永の「木蘭花慢・拆桐花燗漫」詞なのである。
○柳永は詞の作者として、中国では著名らしい。『百度百科』には、次のように載せる。
柳永
柳永(约984年—约1053年),原名三变,字景庄,后改名柳永,字耆卿,因排行第七,又称柳七,福
建崇安人,北宋著名词人,婉约派代表人物。
柳永出身官宦世家,少时学习诗词,有功名用世之志。咸平五年(1002年),柳永离开家乡,流寓杭
州、苏州,沉醉于听歌买笑的浪漫生活之中。大中祥符元年(1008年),柳永进京参加科举,屡试不
中,遂一心填词。景祐元年(1034年),柳永暮年及第,历任睦州团练推官、余杭县令、晓峰盐碱、泗
州判官等职,以屯田员外郎致仕,故世称柳屯田。
柳永是第一位对宋词进行全面革新的词人, 也是两宋词坛上创用词调最多的词人。柳永大力创作慢
词,将敷陈其事的赋法移植于词,同时充分运用俚词俗语,以适俗的意象、淋漓尽致的铺叙、平淡无华
的白描等独特的艺术个性,对宋词的发展产生了深远影响。
http://baike.baidu.com/view/2134.htm