○前回、「甦る卑弥呼:大山祇神」と題して、卑弥呼が大山祇神として、現代でも日本各地で齋き祀られていると言う話をした。何しろ、大山祇神を齋き祀る社と言うのは、伊予国一宮である大山祇神社であり、伊豆国一宮である三嶋大社だと言うのだからいい加減な話ではない。また、前々回に「卑弥呼の亡霊」で話した駿河国一宮の富士山本宮浅間大社や、甲斐国一宮の浅間神社が齋き祀る木花之佐久夜毘売命(木花開耶姫命)も、本来、その母神である大山祇神だから、卑弥呼と言うことになる。
○つまり、一宮だけでも、
・伊予国一宮:大山祇神社
・伊豆国一宮:三嶋大社
・駿河国一宮:富士山本宮浅間大社
・甲斐国一宮:浅間神社
が卑弥呼を齋き祀っていると言うのだから驚く。
○私たちは、日本の始まりは大和朝廷だと習っている。だから、天皇家の始まりが日本の始まりだと理解している。しかし、何故か、大和朝廷の存在した大和国を領知する神は天皇家の神では無い。そこに日本歴史のからくりが存在することを理解していない。一番大事で、肝心なことを私たちは学校で習っていないのである。
○まあ、それを学者先生が理解していないのだから、責められない。そういう了見の狭さが学者先生にはあることを忘れてはなるまい。第一、日本と言う国は、天孫降臨の世界山が何処であるかさえ、規定出来ない貧しい文化国家なのであるから。
●今回案内するのは、修験道、大峰山信仰についてである。最初に、修験道がどういうものかについて触れておきたい。ウィキペディアフリー百科事典が案内する修験道は次の通り。
修験道
修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的と
する日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の混淆宗教である。修験宗ともいう。修験
道の実践者を修験者または山伏という。
古神道は、森羅万象に命や神霊が宿るとして、神奈備(かむなび)や磐座(いわくら)を信仰の対
象としたが、それらを包括する山岳信仰と仏教が習合し、さらには密教などの要素も加味されて確立
した日本独特の宗教が、修験道である。
修験道は、日本各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって超
自然的な能力「験力」を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教でもある。
修験道は、奈良時代に役小角(役行者)が創始したとされるが、役小角は伝説的な人物なので開祖
に関する史実は不詳である。役小角は終生を在家のまま通したとの伝承から、開祖の遺風に拠って在
家主義を貫いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93
●役小角(役行者)が創始したのが修験道とされ、その聖地が大峰山であり、吉野山である。ウィキペディアフリー百科事典が案内する大峰山・吉野山は、次の通り。
大峰山
大峰山(おおみねさん)は奈良県の南部にある山。現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ
岳(さんじょうがたけ)をさしていう。歴史的には、大峰山は大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小
篠(おざさ)から熊野までの峰々をさす。対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸まで
を金峰山という。
この一帯は1936年(昭和11年)、吉野熊野国立公園に指定され、さらに2004年(平成16年)7月、
ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す主要な構成要素として史跡
「大峯山寺」、史跡「大峯奥駈道」ほかが登録された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B0%E5%B1%B1
吉野山
吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈
へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が
点在する地域の広域地名である。
古くから花の名所として知られており、その中でも特に桜は有名で、かつては豊臣秀吉が花見に来
た事がある(後述)。現代でも桜が咲く季節になると花見の観光客で賑わう。地域ごとに下千本(し
もせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ば
れている。
1924年(大正13年)12月には国の名勝・史跡に指定され、1936年(昭和11年)2月 には吉野熊野国
立公園に指定された。また2004年(平成16年)7月には吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参
詣道が『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。1990年(平成2年)に
は日本さくら名所100選に選定された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E5%B1%B1
●こうやって、修験道、大峰山、吉野山の説明を読むと、もう少しどうにかならないものかと思う。修験道も大峰山も吉野山の説明も、まるでその本質を捉えていないからである。上記の説明では、吉野山は、
・吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈
へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が
点在する地域の広域地名である。
と言うことになるらしい。しかし、吉野山の本質が山上ヶ岳にあることは間違いない。それなら、吉野山の中心は、あくまで山上ヶ岳大峰山寺であって、金峯山寺ではない。金峯山寺は吉野山の入り口に過ぎない。
●それに、修験道について、
・修験道は、奈良時代に役小角(役行者)が創始したとされるが、役小角は伝説的な人物なので開祖
に関する史実は不詳である。役小角は終生を在家のまま通したとの伝承から、開祖の遺風に拠って在
家主義を貫いている。
とあるけれども、修験道の開祖は役小角(役行者)ではない。おそらく、吉野山(大峰山)に修験道を勧請したのが役小角(役行者)であろう。それは彼の故地が奈良県御所市茅原の吉祥草寺であることからも明らかである。
・書庫「大和は国のまほろば」:ブログ『吉祥草寺』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/32024891.html
◎吉野山や大峰山がどういうところか。それを知ろうと思えば、まず出掛けてみることだろう。詳しくは以下を参照されたい。
・書庫「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か院宍般邉行』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/3756003.html
・書庫「熊野から天川村・吉野・国中への旅」:ブログ『大峰山山上ケ岳に登る』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/25255167.html
・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで):33個のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1201609.html?m=l&p=1
◎何度も吉野山や大峰山を訪問すると、吉野山の本質が山上ヶ岳大峰山寺にあることを知る。正確に言うと、山上ヶ岳山頂近くに存在する『聖蹟湧出岩』が吉野山のご神体だと言えよう。大峰山では、湧出岩を『聖蹟湧出岩』として囲い、敬ってはいるけれども、それが本来何を意味するかは、完全に見失っていると言うしかない。
◎吉野山や大峰山で、『聖蹟湧出岩』が何を意味するかは、正確には吉野山や大峰山では説明出来ない。それは何故か。吉野山や大峰山の信仰である修験道がここで発生したものではなく、他所から勧請された信仰であるからに他ならない。
◎もっと言うと、大峰山である山上ケ岳(1719叩砲領戮砲楼霏璽嘘戞複隠沓横境叩砲存在する。わずかではあるけれども、山上ケ岳(1719叩砲茲螳霏璽嘘戞複隠沓横境叩砲諒標高は高いのである。それなら、山上ケ岳より稲村ケ岳の方が尊崇されてもおかしくないのではないか。素朴な疑問である。
◎ついでに、もっと言わせてもらえば、稲村ケ岳の名は、明らかにおかしい。稲村ケ岳の何処にも、稲村ケ岳の名にふさわしい環境が無いのである。名が体を表すのであれば、こんなおかしな話はない。実は稲村ケ岳の名も、他所から勧請された地名であることが判る。
◎そういう意味では、熊野三山は参考になる。熊野の聖地三カ所を山でも無いのに、熊野三山と呼び称している。同じように、吉野三山と言うか、大峰三山が存在するのではないかと、誰も想像する。
◎すると、大峰山にも大峰三山が存在することが判る。それは、以下のように案内される。
・大峰山(山上ケ岳:1719叩
・稲村ケ岳(1726叩
・大天井ケ岳(1438叩
◎そんな話は聞いたことが無いとおっしゃるかも知れない。それもそのはずで、吉野山や大峰山では大峰三山信仰を見失っているのである。しかし、大峰信仰である修験道が発生したところには今なお『聖蹟湧出岩』が存在するし、大峰三山が屹立しているのである。
◎そこが何処かと言うと、其処は卑弥呼の故郷である鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島だとするしかない。其処には今でも、
・硫黄岳(703、7叩
・稲村岳(238叩
・矢筈岳(349叩
が屹立しているのを見ることが出来る。
◎硫黄島では、大天井ケ岳(1438叩砲任鰐気、矢筈岳(349叩砲箸覆辰討い襪任呂覆いとおっしゃるかも知れない。しかし、硫黄島を訪問すれば判るのだが、硫黄島唯一の集落である長濱集落の上に広がる台地を城ケ原台地と称している。矢筈岳の裾野が城ケ原なのである。だから、もともと矢筈岳は天井ケ岳だったと推測される。つまり、長濱集落の天井の山の謂いである。
◎同じような状況が大峰山にも存在する。洞川集落のすぐ上が大天井ケ岳(1438叩砲世掘向かいには大天井ケ岳(1438叩砲存在し、その奥に大峰山(山上ケ岳:1719叩砲屹立する。
◎つまり、硫黄島三山、
・硫黄岳(703、7叩
・稲村岳(238叩
・矢筈岳(349叩
と全く同じ状況が大峰山に存在し、それが大峰三山なのである。
・大峰山(山上ケ岳:1719叩
・稲村ケ岳(1726叩
・大天井ケ岳(1438叩
◎こんなことは決して偶然ではない。信仰とはそういうものなのである。その証拠は幾らでも挙げることが出来る。その一つが大峰山の『聖蹟湧出岩』である。大峰山で岩が湧出することはあり得ない。ところが硫黄島ではあり得るのである。その典型が昭和硫黄島である。