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「万葉集」と仏教

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○前回、「『万葉集』に於ける仏教」と題して、 万葉時代の仏教について触れた。しかし、何とも中途半端で終わってしまった気がしてならない。もう少し、「万葉集」と仏教について書いておきたい。

○整理すると、日本への仏教公伝は宣化天皇の538年だとか、欽明天皇の552年だとされている。しかし、日本への仏教伝来は相当古いと思われてならない。私は3世紀には、日本にはすでに仏教が伝来していたと考えている。

○そのことは、どういう経路を経て、中国から日本へ仏教が伝来したかを考えると判る。陳寿の「三国志」を読むと、陳寿が倭を越国の一つと考えていた節がある。そうすれば、中国から日本へ仏教が伝来したルートは自然と見えて来る。
  ・会稽→寧波(100辧
  ・寧波→舟山群島普陀山(150辧
  ・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧
  ・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
  ・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
  ・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
  ・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
  ・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→邪馬台国(56辧

○すでに会稽や杭州には4回訪れ、そのことを検証しているし、寧波や舟山群島には5回訪問し、検証済みである。また、吐噶喇列島にも3回訪れているし、硫黄島にはこれまで6回訪問している。

○中国浙江省、舟山群島の普陀山が中国佛教四大名山の一つであって、観音信仰の聖地であることを見逃してはなるまい。当然、中国から日本へ伝来した仏教も観音信仰であったことが判る。

○併せて、寧波の阿育王寺の信仰なども忘れてはならないし、天台山も寧波からは近い。そういうふうに、中国の仏教自体も刻々と変化する。そういう中国の仏教が日本へ漸次、伝搬して行ったことを理解すべきであろう。

○そういうことがまるで理解されないで、日本の仏教は考えられている。日本には、補陀落渡海と言う荒唐無稽な仏教行事が江戸時代までも存在していた史実がある。詳しくは、井上靖に短篇「補陀洛渡海記」があるので、それを読んでいただきたい。

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