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太陽崇拝の宗教

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○太陽崇拝の宗教と言えば、誰もが天照大神を思い出すのではないか。ウィキペディアフリー百科事典が案内する天照大神は、次の通り。

      天照大神
   天照大御神(あまてらすおおみかみ、てんしょうだいじん)は、日本神話に登場する神。皇室の祖
  神で、日本国民の総氏神とされる。『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」
  は「あまてる」と称されている。
   天岩戸の神隠れで有名であり、記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)の
  一柱とされる。鎮座している場所としては伊勢神宮が特に有名。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%A4%A7%E7%A5%9E

○ついでに、伊勢神宮も案内しておきたい。

      伊勢神宮
   伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式
  名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶことも
  あり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)で
  ある。
   二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社の一社。古代においては宇佐
  神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の1つとされた。明治時代から戦前までの近代社
  格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE

●しかし、伊勢神宮の創建は第11代垂仁天皇25年と意外に新しい。「日本書紀」に拠れば、第10代崇神天皇6年に宮中に祀っていたのを『其の神の勢を畏りて、共に住みたまふに安からず』と思し召して宮中から出している。

●崇神天皇の御代は68年だったと言うから、崇神天皇の時代に62年間、垂仁天皇になってから25年間、天照大神は国中を彷徨い、やっと三重県伊勢市に鎮座ましましたと言う。およそ88年ほどの彷徨であった。

●崇神天皇が宮中から追い出した神は二神で、天照大神と倭大國魂の二神となっている。倭大國魂神は大田田根子によって、3年後の崇神天皇9年に祀られている。

●大和国一宮大神神社で齋き祀っているのは、大物主大神である。だから、「日本書紀」が言う『倭大國魂』とは大物主大神であることが判る。

      大物主
   大物主(おおものぬし、大物主大神)は、日本神話に登場する神。大神神社の祭神、倭大物主櫛甕
  魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)。『出雲国造神賀詞』では倭大物主櫛瓺玉命とい
  う。大穴持(大国主神)の和魂(にきみたま)であるとする。別名 三輪明神。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%89%A9%E4%B8%BB

◎崇神天皇が宮中から追い出した神が天照大神と倭大國魂の二神であると言うのが面白い。「古事記」及び「日本書紀」に拠れば、天照大神は天皇家の祖先だし、倭大國魂とはすなわち大物主大神のことであるから、出雲神だと言うことになる。

◎少し話は飛躍するけれども、日本を支えて来た母系社会の中心であったのが出雲神だと言うことになる。つまり、崇神天皇は父系の祖霊と母系の祖霊と両方とも追い出したことになる。

◎その崇神天皇の宮は磯城瑞籬宮であって、桜井市金屋の三輪山の麓だとされる。また、崇神天皇の御陵は山邊道勾岡上陵で、天理市柳本町に存在する。つまり、崇神天皇の本拠地は三輪山の麓であったことが判る。

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