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「三国名勝図会」の二上峯詳説

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○ブログ『「三国名勝図会」の霧島神社総数諸説』から『「三国名勝図会」の西御在所霧島六所権現社』と続けているが、「三国名勝図会」が記録するところは何とも詳しい。もう少し「三国名勝図会」にしたがって霧島山を追求してみたい。

○今回案内するのは、『「三国名勝図会」の二上峯詳説』である。

      二上峯詳説
   此峯に登るに五路あり。曽於郡西御在所霧島神社より一路あり。高原より両路あり。都城より両路
  あり。(高原の両路、都城の両路は、各邑此峯の條に詳なり。)各地の人登攀するには、其近便の路
  に従へり。麑府の人、皆西御在所霧島神社の路を取る。因て其登路の状を詳に記す。此神社は此山の
  半腹にあり。嶽麓は原野樹林一状ならず。山腹は皆樹木欝然たり。八分以上は箸竹生茂れり。登路𡸴
  岨にして、百状なり。神社より八町許登れば花立石に至る。其石花を挿める形に似たり。因て名づく。
  平日登山の徒、石に花を供へるとぞ。花立石より登ること三十町余にして、矛峯と虚國峯との間なる
  背門丘山道に至る。此より登ること五町許にして、瀬多尾越勧請堂に至る。是往古小林瀬戸尾寺、背
  門丘にありて、此所支院三十六坊を構へ建て、不動像を安置せりといふ。(瀬戸尾寺旧記に見ゆ。)
  因て勧請堂の名あり。今露処に不動石像のみあり。又此所間より清水湧出す。御手洗水といふ。参
  詣の徒、盥漱して身を浄むるの処なり。此辺映山紅甚多し。勧請堂より山上へは登路更に急峻なり。
  登ること四町許、火常峯の下に至る。火常峯は上章に略記せし如く、常に火を発して燃る故、其中深
  く穿ち陥り、凹て大坑となる。俗に是を御鉢といふ。此辺の山上、都て焼焦れし砂礫なり。其大坑中
  よりは、常に焔気沸涌して硫黄気あり。砂礫飛上り、時としては雷の如く鳴動す。火坑の周廻半里余
  なるべし。火坑上の北辺に一線路を通ず。其路𤄃さ六尺許にして僅に足を容るべし。其南は即火坑、
  北は無際の懸崖にて、下の方はみな白雲なり。焼焦れし砂礫上を行く故、砂礫歩に随ひ崩れ落ち、両
  崖に墜る声雷の如し。其路の状、凡そ馬背の如し。因て馬背越といふ。亦俗に此路を縈回するを御鉢
  廻と呼ぶ。御鉢廻の長さ五町許(俗に八町と云)危険の甚しき、言に述べからず。登山の徒、此に至
  て股栗恐怖せざるはなし。若し風稍烈しき時は匍匐せずんば一歩も行べからず。然ずんば崖に吹墜さ
  るべし。

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