○今日、9月19日は、仲秋の名月である。昨年の名月は我が家で眺めた。次のブログに書いている。
・書庫「無題」:ブログ『葉月十五夜の月』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37077765.html
○今回は、査慎行の「中秋夜洞庭湖対月歌」詩を案内したい。
【原文】
中秋夜洞庭湖対月歌 査慎行
長風霾雲莾千里
雲氣蓬蓬天冒水
風收雲散波乍平
倒轉青天作湖底
初看落日沈波紅
素月欲昇天斂容
舟人回首盡東望
吞吐故在馮夷宮
須臾忽自波心上
鏡面開十餘丈
月光浸水水浸天
一派空明互回盪
此時驪龍潛最深
目眩不得銜珠吟
巨魚無知作騰踔
鱗甲一動千黄金
人間此境知難必
快意翻從偶然得
遙聞漁父唱歌來
始覺中秋是今夕
【書き下し文】
中秋の夜、洞庭湖、月に対する歌 査慎行
長風、霾雲を千里に莾らせ、
雲氣、蓬蓬として、天、水に冒る。
風收まり、雲散じて、波は乍ち平らかなり、
青天は倒轉して湖底を作す。
初めて看る、落日は波を紅に沈ませ、
素月の昇らんと欲して、天は斂容たり。
舟人は首を回らせ、盡く東を望み、
吞吐は故、馮夷宮に在り。
須臾にして忽ち、自ら心は波の上に、
鏡面の開すること、十餘丈。
月光は水を浸し、水は天を浸し、
一派の空明らかに、互ひに回盪す。
此の時、驪龍は最も深く潛り、
目の眩じて、銜珠を吟ずるを得ず。
巨魚は騰踔を作すを知らずして、
鱗甲は千黄金を一動さす。
人間、此の境を知ること難きは必ずにして、
快意、翻つて偶然從り得。
遙かに聞く、漁父の唱歌の來るを、
始めて覺ゆ、中秋の是れ、今夕なるを。
【我が儘勝手な私訳】
中秋明月の夜、洞庭湖にて、月に向かって歌う 査慎行
何処からとも無く吹いて来る風が、全ての煙霧を千里の彼方に吹き去らせ、
天空には異樣は雲氣が蓬蓬と広がり、天は水洞庭湖と一体化しようとする。
それまで吹いていた風が収まり、雲も無くなって、波は一瞬のうちに平らとなり、
大空がひっくり返って洞庭湖の湖底となってしまった。
それは私が初めて看る光景である、夕陽が真っ赤に湖面を染めて沈んで行き、
白い月が今将に昇ろうとして、天全体が厳粛な雰囲気に包まれている。
観月の舟を操る舟人は舟首を回らせて、盡く東を向くようにする、
月の出入りは、昔から水神宮殿である馮夷宮だと決まっている。
しばらくの間、自然と波の上を注視するうちに、突然、
鏡面が開するかのように、数十辰發旅發気坊遒出現した。
月の光は洞庭湖一面を充たし、その洞庭湖の月光が天一面を充たし、
東の空に赤々と月が出て、それが次第次第に中空へ向かって昇って行く。
此の時、洞庭湖に棲む驪龍は最も深く潛って、
目が眩んでしまって、銜珠のような詩を吟じることも出来ない。
洞庭湖の主である巨魚は跳起することを忘れて、
巨魚が巨体を揺すると、巨魚の黄金色の鱗甲が一瞬揺れるのだ。
人間世界では、到底、こういう境地を知ることは難しい、
內心を解放し、心理を高興させ、天地をひっくり返して偶々知り得るしかない。
遠くから漁父が唱歌する声が聞こえて来る、
そうなって始めて、中秋の明月が、今晩であったことが納得される。
○査慎行は、清代の詩人であるから、随分新しい詩人である。しかし、その詩風は、なかなか古色蒼然としていて、格調高い。何より、岳陽楼や洞庭湖がどういうところであるかをよく勉強しているのに感心する。この詩を読むと、洞庭湖の名月がどのように昇るかが、手に取るように分かり易く、詳しく説明されている。
○ただ、査慎行は、「中秋夜洞庭湖対月歌」詩を伝統的な詩の詠み方に従って、丁寧に書いている。だから、その詩を理解するためには、それ相応の努力が読者に求められることは言うまでもない。岳陽楼では、そういうふうに詩は詠むものだし、理解するものであることが判る。
○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する査慎行は、次の通り。
查慎行
【百科名片】
查慎行(1650~1727) 清代诗人,当代著名作家金庸先祖。初名嗣琏,字夏重,号查田;后改名慎行,
字悔余,号他山,赐号烟波钓徒,晚年居于初白庵,所以又称查初白。海宁袁花(今属浙江)人。康熙
四十二年(1703)进士;特授翰林院编修,入直内廷。五十二年(1713),乞休归里,家居10余年。雍正
四年(1726),因弟查嗣庭讪谤案,以家长失教获罪,被逮入京,次年放归,不久去世。查慎行诗学东坡、
放翁,尝注苏诗。自朱彝尊去世后,为东南诗坛领袖。著有《他山诗钞》。
後、詳しい説明があるので、詳細は以下を参照されたい。
http://baike.baidu.com/view/79963.htm
【蛇足】
○ブログを書いた後、今年の仲秋の名月を見るために霧島山、韓国岳に登って来た。写真はそれを掲載しておく。今年の仲秋の名月については、別に書きたい。