○前々回、ブログ『硫黄島:蔵王権現の故郷』の最後に、
・まだまだ硫黄島の実力派こんなものではない。次回は、弁才天信仰の話をしたい。
と書いたのに、未だに辯才天信仰の話を始めていない。書き綴っているうちに、どうしても、前回の『硫黄島:神仏混淆の仏教』や、今回の『硫黄島:平家物語』の話が先行すると判断したから、そのように変更せざるを得なかった。
○鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島へ出掛けてみると判ることだが、硫黄島で最大最高の有名人は、誰が何と言おうと俊寛僧都である。硫黄島には俊寛僧都所縁の文物が各所に存在する。俊寛は十二世紀の人物であるにも拘わらず、硫黄島では、現代に於いてもその名声はまるで衰えていない。
○硫黄島で俊寛僧都の次の有名人と言えば、やはり安徳天皇ではないか。俊寛(1143~1179)と安徳天皇(1178~1185)とは、ちょうど入れ違いで歴史に登場する人物である。そして、ともに平家に翻弄された人物である。その俊寛僧都と安徳天皇とが、ともに硫黄島に出現しているのは、偶然だろうか。
○そういうことを教えてくれるのが、軍記物語の一つと称される「平家物語」であることは間違いない。俊寛は、ある意味、「平家物語」前半部のヒーローでもある。なかなかそういうふうに俊寛僧都が扱われることが少ないのが残念でならない。
○「平家物語」をどう読むかは、なかなか難しい問題である。一般には、「平家物語」の主題として、
・戦乱の世に生きる様々な人々の群像
とされることが多い。もっとも、岩波古典文学大系本では、
・この物語に語られた主題をひと言でいえば、変革期の社会の動きそのものということになろう。
とし、そして、その中の重要主題として、次の三項目を提示している。
第一:戦い 第二:仏教 第三:恋愛談・風流談
○ただ、本来、「平家物語」は語り物であって、読み物ではない。そういう意味では、軍記物語として、「平家物語」が他の軍記物語と一括りにされることには抵抗がある。確かに、「平家物語」が軍記物語の系列の流れに存在していることは疑いない。ただ、「平家物語」がその軍記物語の範疇を超えて存在するものとなっていることも間違いない。「平家物語」を軍記物語として扱うことには、十分留意する必要がある。
●閑話休題、ここで扱うのは、硫黄島と「平家物語」の関係である。硫黄島最大のヒーローが俊寛僧都であり、二番目に安徳天皇が来るのには、当然、理由がある。それは、十二世紀当時、硫黄島が平家の統治下にあったことである。そういうふうに歴史を見る人が居ないのに驚く。
・まだまだ硫黄島の実力派こんなものではない。次回は、弁才天信仰の話をしたい。
と書いたのに、未だに辯才天信仰の話を始めていない。書き綴っているうちに、どうしても、前回の『硫黄島:神仏混淆の仏教』や、今回の『硫黄島:平家物語』の話が先行すると判断したから、そのように変更せざるを得なかった。
○鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島へ出掛けてみると判ることだが、硫黄島で最大最高の有名人は、誰が何と言おうと俊寛僧都である。硫黄島には俊寛僧都所縁の文物が各所に存在する。俊寛は十二世紀の人物であるにも拘わらず、硫黄島では、現代に於いてもその名声はまるで衰えていない。
○硫黄島で俊寛僧都の次の有名人と言えば、やはり安徳天皇ではないか。俊寛(1143~1179)と安徳天皇(1178~1185)とは、ちょうど入れ違いで歴史に登場する人物である。そして、ともに平家に翻弄された人物である。その俊寛僧都と安徳天皇とが、ともに硫黄島に出現しているのは、偶然だろうか。
○そういうことを教えてくれるのが、軍記物語の一つと称される「平家物語」であることは間違いない。俊寛は、ある意味、「平家物語」前半部のヒーローでもある。なかなかそういうふうに俊寛僧都が扱われることが少ないのが残念でならない。
○「平家物語」をどう読むかは、なかなか難しい問題である。一般には、「平家物語」の主題として、
・戦乱の世に生きる様々な人々の群像
とされることが多い。もっとも、岩波古典文学大系本では、
・この物語に語られた主題をひと言でいえば、変革期の社会の動きそのものということになろう。
とし、そして、その中の重要主題として、次の三項目を提示している。
第一:戦い 第二:仏教 第三:恋愛談・風流談
○ただ、本来、「平家物語」は語り物であって、読み物ではない。そういう意味では、軍記物語として、「平家物語」が他の軍記物語と一括りにされることには抵抗がある。確かに、「平家物語」が軍記物語の系列の流れに存在していることは疑いない。ただ、「平家物語」がその軍記物語の範疇を超えて存在するものとなっていることも間違いない。「平家物語」を軍記物語として扱うことには、十分留意する必要がある。
●閑話休題、ここで扱うのは、硫黄島と「平家物語」の関係である。硫黄島最大のヒーローが俊寛僧都であり、二番目に安徳天皇が来るのには、当然、理由がある。それは、十二世紀当時、硫黄島が平家の統治下にあったことである。そういうふうに歴史を見る人が居ないのに驚く。