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「万葉集」の大和三山歌

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○2017年正月4日に霧島山高千穂峰へ登ってきた。今年の初登山である。高千穂峰山頂、1574辰らは開聞岳と桜島がきれいに見えた。
  ・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『夢が丘高千穂峰線登山道』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40744667.html

○そこから、ブログ『あらためて大和三山を想う』『日向国の原風景』『高千穂峰登山道』『あらためて邪馬台国三山を思う』『邪馬台国三山の彼方に』『硫黄島:大山祇の故郷』『硫黄島:蔵王権現の故郷』『硫黄島:神仏混淆の仏教』『硫黄島:平家物語』『硫黄島:辯才天信仰の故郷』と続けて来ている。

○どうして、そのような話になるかと言うと、天孫降臨の神、彦火瓊々杵尊が、地上で発した第一声、
  此処は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、
  朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
  故、此処は甚吉き地。
が指示する内容がそういうことだと思うからである。つまり、天孫降臨の山である霧島山、高千穂峰山頂から南西へ向かった風景がこの彦火瓊々杵尊の詔の内実である。

○具体的には、写真をご覧いただくと分かり易い。高千穂峰山頂から南西を向くと、錦江湾に桜島山が浮かんでいるのが見える。その左手に高隈山が見えるが、桜島山と高隈山の間に、天気が良ければ、うっすらと三角錐の開聞岳が見える。こういう風景が邪馬台国を代表する風景であることは言うまでもない。それが邪馬台国三山である。
  ・畝傍山=霧島山(1700叩
  ・香具山=桜島山(1117叩
  ・耳成山=開聞岳(924叩

○天孫降臨の世界山に、どうして、霧島山高千穂峰がなり得たのか。それは、この付近一帯で、断トツに高くて崇高な山が霧島山高千穂峰だからである。そうでなくては、天孫降臨の世界山には、なることはできない。

○大和国には大和三山が存在する。大和三山と言うくらいだから、さぞかし立派な山だろうと、誰もが思う。大和三山が、まさか、
  ・畝傍山(199、2叩
  ・香具山(152、4叩
  ・耳成山(139、7叩
と言うふうな、標高200辰砲盻爾燭覆せ海任△襪海箸鯒Г瓩襪海箸呂任ない。つまり、名が体を表していないのが大和三山なのである。どうしてこういうことになったのか。世の万葉学者先生は、そのことを悪戦苦闘して説明なさるけれども、そんな子供だましにもならない説明を誰も信じる人はいない。

○もともと邪馬台国三山が本物の大和三山であって、大和国の大和三山は、あれはレプリカに過ぎない。そういうことは「万葉集」を読むことで理解される。邪馬台国の人々は邪馬台国三山を持って大和国へ移住したのである。それが大和国の大和三山である。だから、「万葉集」の大和三山歌には、もとの邪馬台国三山を詠ったものも混在している。と言うか、「万葉集」の大和三山歌のほとんどは、邪馬台国三山を詠ったものが多い。だから、「万葉集」の大和三山歌を大和国で説明することはできない。そういうことが万葉学者先生には理解されていないのである。

○「万葉集」の大和三山歌を理解するには、「万葉集」を読むだけで理解することはできない。「古事記」「日本書紀」を読み、「三国志」を読み、理解しない限り、「万葉集」の大和三山歌は理解できない。そういう万葉学者先生の視野の狭さが問題を解決出来ない根本理由だと思えてならない。

○そういう万葉学者先生とは、どんな先生なのか。気になるはずである。具体的には、私が読んだ著作は、次のようなものである。
   嵋媾弦峙繊彁嚇長雄:昭和三年初版:宝文館出版
  ◆嵋媾舷群髻徂霤塚患函Ь赦存淒初版:山海堂出版部
  「万葉集全釈」鴻巣盛廣:昭和十年初版:廣文堂書店
  ぁ嵋媾乎躰瓠彗瀉久孝:昭和三十二年初版:中央公論社
  ァ嵋媾源簔蹇彭擴以弧澄Ь赦存渊衆貲初版:筑摩書房
  Α嵋媾護拊蹇廾貌G遏О豢絛絽淒(平成七年)初版:集英社

○「万葉集」を学んだ方であれば、これらの著作がどんな本であるかはお判りのはずである。全て、「万葉集」研究には、不可欠の著作と言われるものばかりである。これらの著作の全てに問題がある。そういうふうに考えるのが日向国の万葉学である。

○万葉集が記録する大和三山和歌については、以下のブログに書いている。私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。
  ・書庫「大和三山」:ブログ『万葉集が記録する大和三山』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35107837.html

○大和三山が大和国を代表する風景であることは間違いない。だから、大和三山と命名されている。しかし、大和国を訪れてみれば判ることだが、大和三山は、決して大和国を代表する風景とはなっていない。第一、標高200辰砲盻爾燭覆せ海大和国を代表する風景となること自体が難しい。

○それに対して、邪馬台国三山は素晴らしい。見るだけで、それは人を感動させる。陶淵明がその詩「飮酒二十首・其五」の中で、
  採菊東籬下    菊を採る 東籬の下
  悠然見南山    悠然として南山を見る
と眺めるに、まるで似付かわしい山である。そうすれば、
  山氣日夕佳    山気 日夕に佳し
  飛鳥相與還    飛鳥 相ひ与に還る
景色を見ることができる。結果、
  此中有眞意    此の中に真意有り
  欲辯已忘言    弁ぜんと欲して已に言を忘る
つまり、こういう景色の中にこそ、宇宙世界の真意が存在すると陶淵明は諭す。

○中国江西省九江県廬山鎮へ行き、実際、陶淵明が目にした南山、廬山を眺めて来た。廬山鎮には陶淵明のお墓や記念館が存在する。
  ・書庫「廬山・九江」:ブログ『陶淵明の故郷、廬山鎮』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38285034.html

○廬山は巨大な山塊である。ちょうど、それは霧島山と同じくらいである。廬山の最高峰は漢陽峰と言い、標高1474辰函意外に低い。五岳で知られる泰山にしたところで、1545辰靴ない。

○ただ、廬山も泰山も、その辺りで一番の高峰だし、その存在感は凄い。山は単に高ければ良いものでもない。実は、廬山も泰山も、信仰の山であって、それで人々の信仰の対象となっていることに気付いている人は少ない。

○「万葉集」で、どうしてあれ程、大和三山歌が詠われているのか。そういうことを誰も問題としない。実は、もともと大和三山は信仰の山であった。それは大和国で窺い知ることはできない。あくまで、邪馬台国三山での話である。

○それは大和国が何故、『やまと』地名であるかの問題とも共通する。だから、邪馬台国を代表する風景は邪馬台国三山なのである。そして、それをそっくりそのまま掲載しているのが、遙か後世の「万葉集」であることに驚く。「万葉集」の大和三山歌とは、そういう和歌だと日向国の万葉学では認識している。

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