○大和国で最高の見物が大和三山だとすれば、当然、何処で見るかが気になる。以前、そういうことを考えた。大和三山を見るところは決まっていると言うと、語弊があるかも知れない。大和三山は大和国ではどこからでも自由に見えるからである。
○ただ、物事には、結構、作法が存在していて、意外なものに、思い掛けない約束事が潜んでいたりして、驚くことが多い。大和三山にも、そういうものが存在しないでのあろうか。何度も大和三山を訪れ、登っているうちに、ふと、そういうことを考えた。
○大神神社の境内に、大美和の杜展望台というところがある。大和国中がきれいに見えるところとして知られる。山の辺の道の途中でもある。その大美和の杜展望台からも、何度か大和国原を眺めたことがある。
○大美和の杜展望台について、奈良県のHPでは、次のように紹介している。
奈良県景観資産―奈良盆地が眺望できる大美和の杜展望台
日本で最も古い神社として崇敬されている大神神社にある展望台です。東に神体山である三輪山、
西は大和盆地が一望できる景勝の地です。大和三山、二上山、葛城山、金剛山、多武峰、生駒山まで
望め、古代の風景を目の当たりに見るようです。ここで万葉集の三山歌や額田王の歌を思い出すのも
よいでしょう。古代の歴史を語る場としてふさわしい風景です。
http://www.pref.nara.jp/27363.htm
○大神神社が『日本で最も古い神社』と表現するには、些か異論がある。と言うのも、日本最古の史書と称される「古事記」「日本書紀」に拠る限り、日本の始まりは日向国と決まっている。大和国に『日本で最も古い神社』が存在すること自体に無理がある。日本人は大和国で信仰を始めたのであろうか。そんなことはあり得ない。
○それに、三輪山の大神神社が齋き祀る神、大物主大神は出雲神であって、もともと此処に出現した神でもない。当然、それは分霊された神だとするしかない。それなら、大物主大神の故郷は、別に存在するはずだろう。
●大物主大神は出雲神だとされる。それなら、大物主大神の故郷は、当然、出雲国だと誰もが考える。それが常識だろう。しかし、よくよく考えると、出雲には枕詞が存在し、『八雲立つ出雲』であることは誰でも知っている。
●出雲国で、『八雲立つ出雲』風景ほど素晴らしいものはない。だから、枕詞『八雲立つ出雲』が成立したと考える方が自然だろう。ところが、寡聞にして、出雲国で枕詞『八雲立つ出雲』を目にしたことが無いし、聞いたことも無い。これは極めて不自然な話である。いろいろ調べてみても、出雲国に枕詞『八雲立つ出雲』風景が存在しないのである。
●『八雲立つ出雲』と言うくらいだから、どんどん雲が沸き立つ景色が想像される。実は、そういうことを考えたのは、近江国長浜で、竹生島行きの船を待っている時であった。天気があまり良くなくて、伊吹山から雲がどんどん湧き出て、琵琶湖へ押し寄せるではないか。伊吹山は、もともと「息吹き山」だから、こういう風景が良く似合う。おそらく、『八雲立つ出雲』の風景も、こういうものでは無いか。そう思った。
●そう考えると、出雲国に『八雲立つ出雲』風景が、まるで思い浮かばないのである。私が出雲国に疎いせいかも知れないが。『八雲立つ出雲』風景は、何処か別に存在するのではないか。大和三山がそうであったように。
●そう考えると、大和三山がそうであるように、『八雲立つ出雲』の風景も、日向国の何処かに存在するのではないか。日向国で、常時、雲が出ている風景と言えば、桜島か硫黄島くらいのものである。
◎そういうふうに考えると、『八雲立つ出雲』風景は、硫黄島のものだと言うしかない。硫黄島では、一日中、硫黄岳が白い噴煙を揚げている。まさにそれは『八雲立つ出雲』の風景だと言える。
◎決定的なのは、ここから邪馬台国三山を見ると判る。硫黄島から北東に「耳成山=開聞岳(924叩法廚鮓ることができる。硫黄島から見えるのは開聞岳だけだが、経験から、開聞岳の先には「耳成山=開聞岳(924叩法廚存在し、その奥には「畝傍山=霧島山(1700叩法廚存在することを知っている。
◎驚きなのは、大神神社の大美和の杜展望台から見る大和三山、
・畝傍山(199、2叩
・香具山(152、4叩
・耳成山(139、7叩
の配列と、硫黄島から見る邪馬台国三山の配列とが、見事に一致している点である。もともと硫黄島から見る邪馬台国三山を真似て大和国の大和三山が造作されたことを確認するしかない瞬間である。
◎これが古代人の知恵であり、想像力であり、宗教心である。我々、無力無能な現代人は、恐れ戦き、そういう古代人の知恵・想像力・宗教心に驚き呆れるしかない。
◎大和三山和歌を読んで、畝傍山が男だとか、香具山や耳成山が女だとか評している万葉学者先生の想像力が何とも見窄らしく詰まらないと感じずにはいられない。万葉和歌の本質はそんなところには無い。
◎本ブログでは、何度も紹介しているが、大和三山を案内する本に池田源太著「大和三山」(1972年:学生社刊)がある。およそ半世紀も前の書物なのに、現在でも、この池田源太の「大和三山」以上に、大和三山を案内する本は無い。その池田源太の「大和三山」の表紙写真が大美和の杜展望台近くから撮った写真であるのに、驚く。
◎ある時、大和国を探索していてホテルに泊まった際、ホテルの方から、興味深い話を聞いた。三輪山の麓に、井寺池と言うところがあって、朝、太陽が三輪山から昇るのを見ることができる。池に太陽が映ってきれだと言うので、多くの人が遠くからわざわざ写真撮りに来ている。そんな話であった。
◎それは是非とも出掛けてみなくてはならない。
○ただ、物事には、結構、作法が存在していて、意外なものに、思い掛けない約束事が潜んでいたりして、驚くことが多い。大和三山にも、そういうものが存在しないでのあろうか。何度も大和三山を訪れ、登っているうちに、ふと、そういうことを考えた。
○大神神社の境内に、大美和の杜展望台というところがある。大和国中がきれいに見えるところとして知られる。山の辺の道の途中でもある。その大美和の杜展望台からも、何度か大和国原を眺めたことがある。
○大美和の杜展望台について、奈良県のHPでは、次のように紹介している。
奈良県景観資産―奈良盆地が眺望できる大美和の杜展望台
日本で最も古い神社として崇敬されている大神神社にある展望台です。東に神体山である三輪山、
西は大和盆地が一望できる景勝の地です。大和三山、二上山、葛城山、金剛山、多武峰、生駒山まで
望め、古代の風景を目の当たりに見るようです。ここで万葉集の三山歌や額田王の歌を思い出すのも
よいでしょう。古代の歴史を語る場としてふさわしい風景です。
http://www.pref.nara.jp/27363.htm
○大神神社が『日本で最も古い神社』と表現するには、些か異論がある。と言うのも、日本最古の史書と称される「古事記」「日本書紀」に拠る限り、日本の始まりは日向国と決まっている。大和国に『日本で最も古い神社』が存在すること自体に無理がある。日本人は大和国で信仰を始めたのであろうか。そんなことはあり得ない。
○それに、三輪山の大神神社が齋き祀る神、大物主大神は出雲神であって、もともと此処に出現した神でもない。当然、それは分霊された神だとするしかない。それなら、大物主大神の故郷は、別に存在するはずだろう。
●大物主大神は出雲神だとされる。それなら、大物主大神の故郷は、当然、出雲国だと誰もが考える。それが常識だろう。しかし、よくよく考えると、出雲には枕詞が存在し、『八雲立つ出雲』であることは誰でも知っている。
●出雲国で、『八雲立つ出雲』風景ほど素晴らしいものはない。だから、枕詞『八雲立つ出雲』が成立したと考える方が自然だろう。ところが、寡聞にして、出雲国で枕詞『八雲立つ出雲』を目にしたことが無いし、聞いたことも無い。これは極めて不自然な話である。いろいろ調べてみても、出雲国に枕詞『八雲立つ出雲』風景が存在しないのである。
●『八雲立つ出雲』と言うくらいだから、どんどん雲が沸き立つ景色が想像される。実は、そういうことを考えたのは、近江国長浜で、竹生島行きの船を待っている時であった。天気があまり良くなくて、伊吹山から雲がどんどん湧き出て、琵琶湖へ押し寄せるではないか。伊吹山は、もともと「息吹き山」だから、こういう風景が良く似合う。おそらく、『八雲立つ出雲』の風景も、こういうものでは無いか。そう思った。
●そう考えると、出雲国に『八雲立つ出雲』風景が、まるで思い浮かばないのである。私が出雲国に疎いせいかも知れないが。『八雲立つ出雲』風景は、何処か別に存在するのではないか。大和三山がそうであったように。
●そう考えると、大和三山がそうであるように、『八雲立つ出雲』の風景も、日向国の何処かに存在するのではないか。日向国で、常時、雲が出ている風景と言えば、桜島か硫黄島くらいのものである。
◎そういうふうに考えると、『八雲立つ出雲』風景は、硫黄島のものだと言うしかない。硫黄島では、一日中、硫黄岳が白い噴煙を揚げている。まさにそれは『八雲立つ出雲』の風景だと言える。
◎決定的なのは、ここから邪馬台国三山を見ると判る。硫黄島から北東に「耳成山=開聞岳(924叩法廚鮓ることができる。硫黄島から見えるのは開聞岳だけだが、経験から、開聞岳の先には「耳成山=開聞岳(924叩法廚存在し、その奥には「畝傍山=霧島山(1700叩法廚存在することを知っている。
◎驚きなのは、大神神社の大美和の杜展望台から見る大和三山、
・畝傍山(199、2叩
・香具山(152、4叩
・耳成山(139、7叩
の配列と、硫黄島から見る邪馬台国三山の配列とが、見事に一致している点である。もともと硫黄島から見る邪馬台国三山を真似て大和国の大和三山が造作されたことを確認するしかない瞬間である。
◎これが古代人の知恵であり、想像力であり、宗教心である。我々、無力無能な現代人は、恐れ戦き、そういう古代人の知恵・想像力・宗教心に驚き呆れるしかない。
◎大和三山和歌を読んで、畝傍山が男だとか、香具山や耳成山が女だとか評している万葉学者先生の想像力が何とも見窄らしく詰まらないと感じずにはいられない。万葉和歌の本質はそんなところには無い。
◎本ブログでは、何度も紹介しているが、大和三山を案内する本に池田源太著「大和三山」(1972年:学生社刊)がある。およそ半世紀も前の書物なのに、現在でも、この池田源太の「大和三山」以上に、大和三山を案内する本は無い。その池田源太の「大和三山」の表紙写真が大美和の杜展望台近くから撮った写真であるのに、驚く。
◎ある時、大和国を探索していてホテルに泊まった際、ホテルの方から、興味深い話を聞いた。三輪山の麓に、井寺池と言うところがあって、朝、太陽が三輪山から昇るのを見ることができる。池に太陽が映ってきれだと言うので、多くの人が遠くからわざわざ写真撮りに来ている。そんな話であった。
◎それは是非とも出掛けてみなくてはならない。