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宝島が三寶の島であること

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○イギリスの作家、ロバート・ルイス・スティーヴンソンに、海洋冒険小説「宝島」がある。1883年に出版された小説で、広く世界中で読まれている。香港がイギリスに割譲されたのは1842年のことである。当時、中国には、多くのイギリス人が訪れ、多くの中国周辺の情報がイギリス本土にもたらされていたと思われる。

○そういう情報の中から、スティーヴンソンは宝島の情報を手に入れ、海洋冒険小説「宝島」を書いた。原題は『The Sea Cook, or Treasure Island』(海のコック、あるいは宝島)だったのが、後に『Treasure Island』(宝島)と改題された。

○おそらく、こういう情報は上海あたりからもたらされたものではないか。上海市民の6割は寧波人だと言われているほど、上海と寧波の結び付きは強い。その寧波人の多くが観音信仰だと言う。

○その上海は1842年の南京条約により開港し、上海租界(外国人居留地)が形成された。結果、多くの西洋人が上海を訪れている。そういう人々によって、上海及び寧波周辺の情報が西洋へもたらされた。

○寧波の東、150劼らいに存在するのが、観音信仰の聖地、舟山群島普陀山である。その普陀山から更に600劼曚錨譴愎覆爐函∧腓愧する。それがスティーヴンソンの「宝島」である。

○スティーヴンソンの「宝島」では、ロマンと財宝の島が宝島となっているけれども、実際、中国のそれは、そうではない。中国の人々は海賊を和冦と言って恐れた。舟山群島自体が、和冦の為に、しばらく放棄されたほど、和冦の襲来は恐ろしいものであった。そういう和冦襲来の記録や痕跡は中国各地に見ることができる。

○明代、中国の首都は南京であった。その南京まで和冦が襲来したと言う記録まで残されている。そういう歴史を多くの日本人は知らない。必ずしも和冦の全てが日本人だったとは思えないけれども、和冦の襲来は古代から延々と中世末期まで続いていることを見逃してはなるまい。

○つまり、鎖国の近世の時代を除いて、中国はずっと和冦の被害を被って来たと言う歴史が存在する。そういう話は加害者である日本の学校では教えない。被害者である中国の感情を忘れてはなるまい。

○宝島は、そういう和冦の拠点として認識されていたのであろう。たいへん悲しい話だが、あれだけ、中国から略奪し続けている和冦の島だから、宝島だと勘違いされても、仕方の無いことである。

●ただ、歴史を辿ると、古代人の考え方はまるで違う。中国の正史に「三国志」がある。『三国志』魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝・倭人の条を読むと、
  ・計其道里、當在會稽、東冶之東。
とあって、倭国が会稽郡東明の東に存在することを明記している。もっとも、原文には『當在會稽、東冶之東』とあるけれども、中国の地理に照らし合わせれば、これが『當在會稽、東明之東』の誤字か誤写であることくらいは、中国の史家であれば、容易に理解されることである。

●更に、『三国志』魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝・倭人の条には、
  ・所有無與儋耳、硃崖同。
ともあって、倭国の風土産物が海南島の儋耳郡硃崖郡と同じだと言う。ちなみにグーグルアースで確認すると、海南島の緯度は北緯18度から19度で、会稽が30度、普陀山と宝島は29度、鹿児島市で31度、福岡市で33度となる。幾ら何でも緯度が18度19度と31度33度の風土産物が同じだと言うことはあり得ない。

●つまり、『所有無與儋耳、硃崖同』が意味することは、そういうことではなく、海南島の儋耳郡硃崖郡と倭国とが、同じ越国であることを意味することが判る。もちろん、その越国の首都が会稽であることは言うまでもない。

◎私たちは、21世紀の現代の私たちの感覚が最新で、最も進歩的なものだと勘違いしている。しかし、こういう古代人の感覚を学習すると、私たちの方が、まるで古くさい感覚であることに驚く。三世紀の中国の史家、陳寿の感覚は、それほど鋭い。

◎幾ら和冦に来襲され続けても、その和冦自体が中国の越国の一つであるとする感覚は、尋常ではない。おそらく、その根底には、普陀山の観音信仰があったことは間違いない。

◎イギリス人であるロバート・ルイス・スティーヴンソンは、歴史をまるで知らないから、宝島がどういう島であるかが、まるで理解できない。宝島は、もともと『Treasure Island』(宝島)などではない。宝島はもともと信仰の島であり、三寶の島なのである。

      三宝
   三宝(さんぽう、さんぼう、サンスクリット語: त्रिरत्न:トリラトナ)とは、仏教における「仏・
  法・僧」(ぶっぽうそう)と呼ばれる3つの宝物を指し、仏と、法と、僧(僧伽)のこと。この三宝
  に帰依し、その上で授戒することで正式に仏教徒とされる。なお、3つという数については、3を聖数
  とする習俗や信仰とのかかわりも指摘されている。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%9D

◎宝島は、間違いなく三寶の島である。中国浙江省舟山群島の普陀山から、およそ600劼眦譴愎覆鵑世箸海蹐紡減澆垢襦この宝島には、もちろん誰でも自由に参詣出来るわけではない。現代でも大変だが、古代に於いてはもっと大変だったに違いない。

◎中国浙江省舟山群島の普陀山を訪れ、また日本国鹿児島県鹿児島郡十島村宝島を訪れてみると判ることだが、普陀山と宝島とには、まったく同じ風景が存在することに驚く。私はそのことを普陀山に5回訪問し、宝島へも3回訪問して確認している。

◎どういう風景かと言うと、普陀山から望む洛迦山と宝島から望む小宝島とが同じ形をしていると言うことである。実際の様子を撮した写真を掲載するので、そちらで確認していただければ判る。これは決して偶然ではない。間違いなく造作された風景なのである。

◎洛迦山や小宝島が造作された島であることも間違いない。そのことは実際、洛迦山と小宝島へ赴き、確認している。
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:ブログ『洛迦山と小宝島』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36383265.html
  ・書庫「吐噶喇往還」:ブログ『小宝島と洛迦山』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36740097.html
  ・書庫「寧波三歩・洛迦山参詣」:ブログ『洛迦山:観音菩薩の頭部部分』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37528656.html
  ・書庫「小宝島訪問」:ブログ『宝島と普陀山』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37603431.html

◎中国浙江省舟山群島の普陀山と、日本国鹿児島県鹿児島郡十島村宝島とでは、全く同じ風景でありながら、どちらがより古いのか。このことも気になっている。以前は、普陀山の観音信仰が日本へ渡来し、宝島の観音信仰となったと考えていた。しかし、小宝島と洛迦山の形状を見る限り、小宝島の方が原型であって、それを複製したのが洛迦山のように思えてならない。このことは、もっとよく調べて結論を出す必要がある。

◎いずれにせよ、宝島が三寶の島であることは間違いない。これが日本への仏教伝来を意味することも確かである。それは三世紀の話であって、陳寿の「三国志」では、それを卑弥呼の鬼道と断じている。ただ、卑弥呼の鬼道の現場は宝島ではなく、硫黄島である。そういう話を次回したい。

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