○ここまで、『笠沙の御前』から『笠沙地名と笠島地名』、『坊津が日本三津の筆頭であること』、『坊津の彼方に』と書き続けて来た。その先に見えるものは何か。そういう考え方ができるのも、日向国の万葉学の特権である。おそらく、誰もそういう見方、考え方ができないのではないか。
○それは自分の目で見る努力を続けて来たからだと言えよう。それも自分の目だけを信じて見るのではない。偉大な先人の見たもの、書いたものをベースにものを見る努力を継続し続けることが大事だと教えてくれた。それが私の場合、江戸時代の国学者、白尾國柱であった。
○白尾國柱「麑藩名勝考」の教えてくれるものは多い。
○それは自分の目で見る努力を続けて来たからだと言えよう。それも自分の目だけを信じて見るのではない。偉大な先人の見たもの、書いたものをベースにものを見る努力を継続し続けることが大事だと教えてくれた。それが私の場合、江戸時代の国学者、白尾國柱であった。
○白尾國柱「麑藩名勝考」の教えてくれるものは多い。