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陶淵明:飮酒二十首・其五

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○書庫「廬山・九江」のブログ数が今回で15回を数える。4世紀から5世紀に掛けて、廬山の麓に生きた陶淵明について、いろいろと書いているが、このままではなかなか廬山に辿り着かない。

○まだまだ、陶淵明について、書きたいことが山ほどあるのだが、一応、この辺で止めて置きたい。どのみち、陶淵明については、将来、歩けなくなったら、書こうと思っている。

○陶淵明の最後として、最も有名な「飮酒二十首・其五」を紹介したい。陶淵明と言えば、誰もがこの詩を案内する。前にも紹介済みであるが、夏目漱石「桑枕」には、次のように載せる。
  うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。
    採菊東籬下    菊を採る、東籬の下、
    悠然見南山    悠然として南山を見る
  ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる
  訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去
  った心持ちになれる。                          「草枕」

○ウィキペディアフリー百科事典の陶淵明の項目でも、「著名な作品」として、「飮酒二十首・其五」を、次のように案内している。

  結廬在人境    廬を結びて人境に在り
  而無車馬喧    而も車馬の喧しき無し
  問君何能爾    君に問う 何ぞ能く爾ると
  心遠地自偏    心遠ければ 地 自ずから偏なり
  採菊東籬下    菊を採る 東籬の下
  悠然見南山    悠然として南山を見る
  山氣日夕佳    山気 日夕に佳し
  飛鳥相與還    飛鳥 相ひ与に還る
  此中有眞意    此の中に真意有り
  欲辯已忘言    弁ぜんと欲して已に言を忘る
  【口語訳】
    人里に家を構えているが
    しかし来客が車や馬の音にのって騒がしく訪れることもない
    「なぜそんなことがありえるのか」と問われるが
    心が世間から遠く離れているから、住んでいる土地も自然に人少ない趣きにかわるのだ
    東の垣根の下で菊を摘むと
    遠く遥かに廬山が目に入る
    山の光景は夕方が特に素晴らしい
    鳥たちが連れ立って山の巣に帰っていく
    この光景に内にこそ、真実の境地が存在する
    しかし、それをつぶさ説き明かそうとすると、言葉を忘れてしまうのだ

○およそ、諸書を見ても、こういう訳がほとんどである。隠者、陶淵明は、ここでは完成された隠逸として登場する。しかし、本当だろうか。私には、陶淵明は、もっと未完成な隠者としてしか映らない。上記の訳には、そういう陶淵明の躊躇や迷いが微塵も感じられない。

○本当の「飮酒二十首・其五」は、実はそういうものではないのではないか。達観しようとして、達観し切れない諦観が陶淵明には存在する。煩悩まみれな隠逸が陶淵明の実像のような気がしてならない。

○同じ「飮酒二十首・其五」詩を、私なら、こう訳す。

  【原文】
      飮酒二十首:其五   陶潜
    結廬在人境
    而無車馬喧
    問君何能爾
    心遠地自偏
    采菊東籬下
    悠然見南山
    山氣日夕佳
    飛鳥相與還
    此中有眞意
    欲辨已忘言

  【書き下し文】
      飮酒二十首:其五  陶潜
    廬を結ぶに人境に在り。
    而も車馬の喧しき無し。
    君に問ふ、何ぞ能く爾ると。
    心遠ければ、地自づから偏なり。
    菊を采る東籬の下、
    悠然として南山を見る。
    山氣日夕に佳く、
    飛鳥相ひ與に還る。
    此の中に眞意有り。
    辨ぜんと欲して已に言を忘る。

  【我が儘勝手な私訳】
    隠逸は廬山に庵を構えるものだが、それが出来ない私は人家の只中に住むしかない。
    それなのに、車や馬に乗っての賓客の来訪など、まるで無い。
    人は不思議に思って私に尋ねる。隠逸を願うのに、よくもそんなふうに居られるものだと。
    心が世間から離れていると、土地も自然と世間から離れて行くものだと私は答える。
    東側の垣根の所に生えている菊を採りに庭に出ると、
    南の方角に、隠逸の住む廬山が遠くに見え、ゆったりとした気持ちでそれを眺める。
    私の家からの廬山の景色は、秋の夕暮れ時が特に素晴らしい。
    空を飛ぶ鳥たちは、群れを成して連れ立って山へ帰って行く。
    こういう世界にこそ、自然の真の姿が存在すると私は感得するのだ。
    それを何とか言葉にしたいと思うのだが、どんな言葉でもそれは到底表現出来そうにない。

○「荘子」巻之四:秋水篇第十七に、次のような話がある。
   莊子釣於濮水。楚王使大夫二人往先焉、曰「願以竟内累矣。」
  莊子持竿不顧、曰「吾聞楚有神龜。死已三千歳矣。王巾笥而藏之廟堂之上。
  此龜者、寧其死為留骨而貴乎。寧其生而曳尾於塗中乎。」
  二大夫曰「寧生而曳尾塗中。」
  莊子曰「往矣!吾將曳尾於塗中。」
陶淵明を『楚之神龜』だとし、聖人君子として崇め祀るのも結構だが、陶淵明の本心は『寧生而曳尾塗中』ことにある。陶淵明の言葉の真意を理解することは、なかなか容易なことではない。

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