○中国江西省九江县沙河街镇に存在する陶淵明記念館を訪れたのは、2013年6月12日の午後2時過ぎであった。この日、朝早く湖南省岳陽市を出て、寝台特急電車に乗り、215厠イ譴晋佶名壁雋岨塢霈擦泙嚢圓、黄鶴楼を見た後、それから武昌から瑞昌まで約230辧中国新幹線和諧号に乗った。
○瑞昌から九江县沙河街镇までは、およそ66劼曚匹△辰董▲織シーを利用した。瑞昌到着が午後1時過ぎ、九江县沙河街镇に着いたのが午後2時過ぎであった。それから1時間ほど掛けて、陶淵明記念館を見学し、記念館を出たのは、午後4時過ぎであった。
○6月であったから、まだ日は高い。しかし、これから廬山に登らなくてはならない。今日の宿泊先は、廬山區牯嶺街にある廬山鑫締賓館ホテルである。
○陶淵明記念館を出て、山の裾を廻るように淵明路が続いている。ちょうど、山の北になるところに山へ登る石段があって、陶淵明記念館へ来た際、間違って登った石段である。すぐ脇に池があって、湖畔からきれいに廬山が眺望された。
○この時、柴桑北路からの淵明路は工事中になっていて、車が入れなかった。それで、柴桑北路まで歩くしかなかった。柴桑北路から陶淵明記念館までは、およそ250辰らいだろう。
○柴桑北路で、廬山の牯嶺街までのタクシーを拾うことにした。しかし、なかなか肝心のタクシーが来ない。柴桑北路は、大通りで、車の数も多いのだけれども、タクシーが少ない。それにタクシーが来ても、乗車していて、停まってくれない。仕方がないので、近くの店でペットボトルの水を買い、一息入れてから、また、タクシーを待った。
○随分、待たされた気がしたが、焦っていたので、余計に時間が長く感じられたのかも知れない。20分ほど待って、一台のタクシーが停まった。中を見ると、既に3人のお客さんが乗車しているではないか。
○運転手が「何処まで行くのか」と言うので、「廬山區牯嶺街:廬山鑫締賓館」と書いたメモ帳を見せる。すると、後部座席に居る女性客に降りるよう促す。後部座席の女性はそこで降ろされ、助手席の女性が今度は後部座席に移動し、私に助手席へ乗れと手招きした。
○「後ろの客を降ろした後、廬山へ向かう。それで良いか」と言うので、「それで良い」と言うと、タクシーは発車した。
○いわゆる、相乗りである。中国の田舎に行くと、何処でも、相乗りは普通である。もっと田舎に行くと、タクシーは居てもタクシーにメーターが無い。さらに田舎へ行くと、タクシーそのものが居ない。そういうところでは白タク利用となる。これまで何度もそういう経験をしている。
○後部座席の二人を降ろした後、おもむろに、タクシーは路肩に駐車した。それから、幾らで廬山まで行くか、運転手との交渉である。運転手は「230元」だと言う。ちょっと高いと感じたので「150元」と言うと、「高速代が40元かかるので、230元」だと言う。
○それならまあ良いかと言うことで、交渉成立。廬山へ行くこととなった。九江县沙河街镇から一路、廬山東路を南下し、福銀高速G70線に乗った。中国の検索エンジン百度の百度百科は、福銀高速G70線について、次のように案内する。
福银高速公路
福银高速公路(福州—银川),简称福银高速,中国国家高速公路网编号为G70,途经福建、江西、
湖北、陕西、甘肃、宁夏,沟通了我国的华南、华中与西北地区 ,全长2485公里。
○福銀高速G70線を廬山南互通(インターチェンジ)で降りると、目の前がS213線で、廬山への登り道となる。しばらく行くと、立派な廬山風景区集票庁の建物があって、ゲートが出現した。運転手が「廬山風景名勝区参観券」を購入して来るように言うので、買いに行く。
○目の前に、廬山がきれいに見えた。遠くから眺める廬山も格別であるが、直下から望む廬山も、また美しい。天気が良かったので、存分に廬山の風景を見ることができた。
○廬山の最高峰は漢陽峰で1474叩廬山の繁華街、牯嶺街でも1167辰良弦發ある。これからそこまでタクシーで登るわけである。
○車は順調に廬山を登り続け、午後5時前にはホテルに到着した。今回の旅行で、最も心配したのが、岳陽から廬山までの行程であった。何とか、無事に辿り着けてホッと一安心する。運転手にお礼を言い、少しお礼も差し上げた。
○廬山鑫締賓館ホテルは、山の上のホテルである。三階建てで、道路の湾曲したところにある、繁華街にも近く、便利なホテルであった。もちろん、そのつもりで選んだのだが。
○折角、廬山に出掛けて、町中のホテルと言うのも、興ざめであるし、かと言って、辺鄙な場所では交通に不便である。そういう点、廬山鑫締賓館ホテルは、私の希望に添ったホテルであった。