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大隅国馭謨郡:益救神社

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○大隅国の延喜式内社は、次の大社1座1社小社4座4社の計5座5社となっている。
  ・桑原郡 鹿児嶋神社(大社:大隅国一宮)
  ・曽於郡 大穴持神社
  ・曽於郡 宮浦神社
  ・曽於郡 韓國宇豆峯神社
  ・馭謨郡 益救神社

○これまで、『大隅国一宮:鹿児島神宮』、『大隅国曽於郡:宮浦神社』、『大隅国曽於郡:韓國宇豆峯神社』、『大隅国曽於郡:大穴持神社』と案内し、残りは『大隅国馭謨郡:益救神社』だけである。ただ、これまでの四社とは異なり、『大隅国馭謨郡:益救神社』が鎮座ましますのは、鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦277で、相当遠い。

○鹿児嶋神社・大穴持神社・宮浦神社・韓國宇豆峯神社は、全て近在するけれども、益救神社が鎮座ましますのは屋久島だから、随分と遠い。益救神社のために屋久島まで行くこともできないので、以前参詣した時の写真を紹介したい。

○ウィキペディアフリー百科事典が案内する益救神社は、次の通り。
      益救神社
   益救神社(やくじんじゃ)は、鹿児島県熊毛郡屋久島町(屋久島)にある神社。式内社で、旧社格
  は県社。
   『延喜式』神名帳に記載された神社のうち最も南に位置する。現在は「やく」と読むが、かつては
  「ますくひ」「すくひ」と読んだ。旧称は「須久比ノ宮」「一品宝珠大権現」。
  【主祭神】
    ・天津日高彦火々出見命 (あまつひこひこほほでみのみこと)
     海幸山幸神話に登場する「山幸彦」。
   元々は屋久島中央部の三岳(宮之浦岳・永田岳・栗生岳)の神を祀ったものと考えられ、かつては
  島内各地に三岳の遥拝所があった。明治維新までは、旧村18ヶ所に村落名を冠した益救神社があった
  が、現在は宮之浦の当社を除けば原集落にある原益救神社(屋久島町 原721-2)のみとなっている。
  また、宮之浦岳の山頂には当社の奥社がある。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E6%95%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE

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