○『日向国:延喜式内社考』、『続・日向国:延喜式内社考』と書き続けて、旧日向国に鎮座まします延喜式内社について考えて来た。今回はその第三弾で、日向国の延喜式内社について考えてみたい。
○これまで『日向国:延喜式内社考』では、薩摩国の延喜式内社について考え、『続・日向国:延喜式内社考』では、大隅国の延喜式内社について考えてきた。南九州三国の延喜式内社は、到底、同じ基準判断で選定されたとは思えない矛盾がある。ここでは、そういうことを問題としている。
○確認の為、再度、日向国の延喜式内社を掲載しておく。
【日向国の延喜式内社】小社4座4社
・児湯郡 都農神社(日向国一宮)
・児湯郡 都萬神社
・宮埼郡 江田神社
・諸県郡 霧島神社
○当時、日向国は臼杵郡、児湯郡、宮崎郡、那珂郡、諸県郡の5郡で構成されていた。この並び順は北からのものである。国府が存在したのは、児湯郡である。日向国には5郡が存在した。その中の3郡の神社が延喜式内社には登場する。
○このうち、都農神社・都萬神社・江田神社は、近在し、ほとんど同一文化圏内に存在するとも言える。そういう意味では、大隅国の鹿児嶋神社・大穴持神社・韓國宇豆峯神社・宮浦神社の関係に近い。唯一、霧島神社だけが別個の存在である。
○このように考えると、日向国の延喜式内社4社のうち、都農神社・都萬神社・江田神社が一つのグループであり、残りの霧島神社だけが別個の存在であることがはっきりしてくる。ついでに、都農神社・都萬神社・江田神社についてみると、次のようになる。
都農神社
都農神社(つのじんじゃ)は、宮崎県児湯郡都農町にある神社。式内社、日向国一宮。旧社格は国
幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
明治以前は「宮崎社」「宮崎宮」とも称されていた。地元では「一の宮神社」とも呼ばれる。
【祭神】
・大己貴命 (おおなむちのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)に同じ。古くからの都農町一帯の守り神であることから、土地
の神として大己貴命を充てたものであるとされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E8%BE%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE
都萬神社
都萬神社(つまじんじゃ、都万神社)は、宮崎県西都市にある神社。式内社で、日向国総社論社、
日向国二宮論社。旧社格は県社。
【祭神】
・木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
社名の「都万」は「妻」のことであり、祭神の木花開耶姫命が瓊々杵尊の妻であることによるという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E8%90%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE
江田神社 (宮崎市)
江田神社(えだじんじゃ)は、宮崎県宮崎市阿波岐原町(あわぎがはらちょう)にある神社。式内
社で、旧社格は県社。
【祭神】
・伊邪那岐尊 (いざなぎのみこと)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%B8%82)
○都農神社の御祭神が大己貴命であり、都萬神社の御祭神が木花開耶姫命で、江田神社の御祭神が伊邪那岐尊であることは興味深い。大己貴命の別名は大国主命であって、本来、出雲神である。都萬神社の御祭神は木花開耶姫命だとする。それなら、大山祇神が親である。当然、大山祇神の遺跡や痕跡が付近に見えるはずなのだが、そういうものが児湯郡には見られない。江田神社の御祭神は伊邪那岐尊だとする。しかし、伊邪那岐尊は天上界の神様であって、地上に降臨したわけではない。地上に伊邪那岐尊の遺跡や痕跡が存在すること自体がおかしな話である。
○このように見て来ると判るのだが、日向国の延喜式内社4社のうち、都農神社・都萬神社・江田神社は、他所から勧請された神であることがはっきりする。つまり、日向国が構成された際、日向国へ遷座された神々だと言うことになる。
○おそらく、日向国の延喜式内社4社のうち、日向国オリジナルの神は、霧島神社だけであろう。そういう意味では、日向国一宮には霧島神社がふさわしい。残りの延喜式内社は他所から勧請された神々だとするしかない。
○これまで『日向国:延喜式内社考』では、薩摩国の延喜式内社について考え、『続・日向国:延喜式内社考』では、大隅国の延喜式内社について考えてきた。南九州三国の延喜式内社は、到底、同じ基準判断で選定されたとは思えない矛盾がある。ここでは、そういうことを問題としている。
○確認の為、再度、日向国の延喜式内社を掲載しておく。
【日向国の延喜式内社】小社4座4社
・児湯郡 都農神社(日向国一宮)
・児湯郡 都萬神社
・宮埼郡 江田神社
・諸県郡 霧島神社
○当時、日向国は臼杵郡、児湯郡、宮崎郡、那珂郡、諸県郡の5郡で構成されていた。この並び順は北からのものである。国府が存在したのは、児湯郡である。日向国には5郡が存在した。その中の3郡の神社が延喜式内社には登場する。
○このうち、都農神社・都萬神社・江田神社は、近在し、ほとんど同一文化圏内に存在するとも言える。そういう意味では、大隅国の鹿児嶋神社・大穴持神社・韓國宇豆峯神社・宮浦神社の関係に近い。唯一、霧島神社だけが別個の存在である。
○このように考えると、日向国の延喜式内社4社のうち、都農神社・都萬神社・江田神社が一つのグループであり、残りの霧島神社だけが別個の存在であることがはっきりしてくる。ついでに、都農神社・都萬神社・江田神社についてみると、次のようになる。
都農神社
都農神社(つのじんじゃ)は、宮崎県児湯郡都農町にある神社。式内社、日向国一宮。旧社格は国
幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
明治以前は「宮崎社」「宮崎宮」とも称されていた。地元では「一の宮神社」とも呼ばれる。
【祭神】
・大己貴命 (おおなむちのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)に同じ。古くからの都農町一帯の守り神であることから、土地
の神として大己貴命を充てたものであるとされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E8%BE%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE
都萬神社
都萬神社(つまじんじゃ、都万神社)は、宮崎県西都市にある神社。式内社で、日向国総社論社、
日向国二宮論社。旧社格は県社。
【祭神】
・木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
社名の「都万」は「妻」のことであり、祭神の木花開耶姫命が瓊々杵尊の妻であることによるという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E8%90%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE
江田神社 (宮崎市)
江田神社(えだじんじゃ)は、宮崎県宮崎市阿波岐原町(あわぎがはらちょう)にある神社。式内
社で、旧社格は県社。
【祭神】
・伊邪那岐尊 (いざなぎのみこと)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%B8%82)
○都農神社の御祭神が大己貴命であり、都萬神社の御祭神が木花開耶姫命で、江田神社の御祭神が伊邪那岐尊であることは興味深い。大己貴命の別名は大国主命であって、本来、出雲神である。都萬神社の御祭神は木花開耶姫命だとする。それなら、大山祇神が親である。当然、大山祇神の遺跡や痕跡が付近に見えるはずなのだが、そういうものが児湯郡には見られない。江田神社の御祭神は伊邪那岐尊だとする。しかし、伊邪那岐尊は天上界の神様であって、地上に降臨したわけではない。地上に伊邪那岐尊の遺跡や痕跡が存在すること自体がおかしな話である。
○このように見て来ると判るのだが、日向国の延喜式内社4社のうち、都農神社・都萬神社・江田神社は、他所から勧請された神であることがはっきりする。つまり、日向国が構成された際、日向国へ遷座された神々だと言うことになる。
○おそらく、日向国の延喜式内社4社のうち、日向国オリジナルの神は、霧島神社だけであろう。そういう意味では、日向国一宮には霧島神社がふさわしい。残りの延喜式内社は他所から勧請された神々だとするしかない。