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甫与志岳

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○甫与志岳がどのような山であるか。ウィキペディアフリー百科事典には、次のように案内する。
      甫与志岳
   甫与志岳(ほよしだけ)は、大隅半島南東部に聳える山であり、肝属山地の最高峰である。鹿児島県
  肝付町にあり、かつての高山町と内之浦町の境界部にまたがる。
  【地理】
   北方に黒尊岳、国見山が連なり、三山を合わせて「国見の三岳」と呼ばれる。山頂付近は高さ20メー
  トル、周囲120メートルの巨大な花崗岩から成っており、岩の洞に彦火火出見尊(穂穂手見命)を祀る石
  祠がある。山頂には一等三角点が置かれており、太平洋、高隈山、霧島山に加え、遠く鹿児島湾、薩摩
  半島、屋久島、種子島を望むことができる[1]。登山道としては二股川キャンプ場から甫与志林道を経て
  南西から登るルートが一般的であり、他に黒尊岳を経て北から縦走するルート、姫門林道を経て南東か
  ら登るルート、二股林道を経て北西から登るルートがある[2]。山頂付近は鎖場となっている。
   イスノキやアカガシなどの常緑広葉樹に覆われているが、山頂付近には落葉広葉樹も見られる。肝属
  山地にのみ自生するキモツキミツバツツジやオオスミミツバツツジが分布し、白い花を咲かせるアケボ
  ノツツジの群落がある。甫与志岳の南西部、荒西山にかけての標高700メートル以上の東南斜面は「万九
  郎県自然環境保全地域」に指定されている。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%AB%E4%B8%8E%E5%BF%97%E5%B2%B3

○肝付町観光協会サイトで案内する甫与志岳は、次の通り。
      甫与志岳
   標高967メートル。国見(くにみ)山・黒尊(くろそん)岳と共に構成される国見山系の最高峰
  で、一帯は南国的色彩が強くなります。サカキ、ヤブツバキなどの常緑広葉樹が山頂部まで密に茂
  り、一年中黒々と覆われます。
   頂上は直径15メートルほどの大岩を露出した一大ドームからなり、低山ながら360度の大パノ
  ラマが楽しめます。眼下には太平洋の岸良浜、視界が良ければ南の洋上はるかに屋久島、種子島、北
  方に高隈山、霧島山等が望まれ、ハイキングに絶好の山といえます。
   なお、山頂の岩下には玉依姫、彦火火出見尊を祀る祠があります。甫与志岳の名前の由来として、
  彦火火出見尊とその妻、豊玉姫の間には鵜茅葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)が生まれ、養育
  にあたった玉依姫は乳が出なかったことから甫与志岳に登り湧き出る水を乳房にたらしたところ、乳
  が出るようになったことから母養子(ほよし)山と呼ばれるようなったことに由来すると言われてい
  ます。
  http://www.kankou-kimotsuki.net/midokoro/%E7%94%AB%E4%B8%8E%E5%BF%97%E5%B2%B3/

○肝付町のHP内にある「三岳登山」の甫与志岳案内は、次の通り。
      甫与志岳(ほよしだけ 966.9m)
   甫与志岳は肝属山系の最高峰で、一帯は南国的色彩が強くなります。
   サカキ、ヤブツバキなどの常緑広葉樹が山頂部まで密に茂り、一年中黒々と覆われます。
   頂上は直径15mほどの大岩を露出した一大ドームからなり、低山ながら360度の大パノラマが楽しめ
  ます。眼下には太平洋の岸良浜、視界が良ければ南の洋上はるかに屋久島、種子島、北方に高隈山、
  霧島山等が望まれ、ハイキングに絶好の山といえます。
   なお、山頂の岩下には玉依姫、彦火火出見尊を祀る祠があります。
  http://kimotsuki-town.jp/3916.htm

○ブログ『国見山が高屋山上陵であること』で案内したように、国見山はもともと高屋山と称し、彦火火出見尊の御陵、高屋山上陵だと言われている。
  ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『国見山が高屋山上陵であること』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40949781.html

○甫与志岳は肝付山地の最高峰となっている。この付近が彦火火出見尊だけのものなら、当然、甫与志岳に祀られるのは彦火火出見尊だろう。しかし、彦火火出見尊の御陵、高屋山上陵は甫与志岳ではなく、国見山となっている。

○また、内之浦北方に鎮座まします高屋神社の向きも、甫与志岳ではなく、明らかに国見山を遥拝するようになっている。それに、母養子(ほよし)山から甫与志岳の名前が生まれたのであれば、彦火火出見尊ではなく、玉依姫とか鵜茅葺不合尊を祀る山でなくてはなるまい。

○だから、国見山が高屋山陵であり、彦火火出見尊を祀る山なら、甫与志岳が彦火火出見尊を超える存在を祀る山であることは間違いない。それは彦火火出見尊の子である鵜茅葺不合尊とか、その妻である玉依姫ではあり得ない。

○それに、鵜茅葺不合尊の御陵は吾平山陵と言って、鹿屋市吾平町上名に存在する。肝付町の隣町が吾平町になる。ただ、吾平山陵は可愛山陵や高屋山陵と違って、山陵ではなく、川合となっている。

○そういうふうに見て来ると、おのずから、甫与志岳に祀られる神が何であるかが限定される。神代三代で彦火火出見尊より偉いのは彦火瓊々杵尊しか居ない。彦火瓊々杵尊の御陵は可愛山陵と申し上げる。

○ちなみに、現在、宮内庁が神代三山陵比定地としているのは、以下の通りである。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県霧島市溝辺町麓の高屋山陵
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○この選定は、明治の混乱期に唐突に行われたものであり、まるで史実を無視したものだと言わざるを得ない。可愛山陵は薩摩国国府にあって、高屋山陵は大隅国国府近辺に置くと言うのは、如何にも恣意的である。そんなところに神代三代が存在するはずが無い。

○それに、神代三代である彦火瓊々杵尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の関係は親子孫の関係なのである。その御陵が薩摩川内市・霧島市・鹿屋市と、鹿児島県の西端と東端と真ん中だと言うことはあり得ない。何処か一か所に集中することは間違いない。

○真面目に神代三山陵を考えるとそういうことになる。神代三山陵研究の第一人者は誰が考えても、白尾國柱だろう。その白尾國柱の神代三山陵研究を継承すれば、真実の神代三山陵は、次のようになる。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○結果、甫与志岳に祀られているのは、彦火瓊々杵尊だとするしかない。もちろん、彦火瓊々杵尊は天孫降臨の神であり、日本人の最初ともいえる神である。当然、甫与志岳からは彼が降臨した霧島山高千穂峰が見える。

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