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天皇家の故郷

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○平成29年度5月21日(日)に、「平成29年度:肝付町三岳まいり」が盛大に開催された。昨年に引き続き参加させていただいた。三岳参りは国見山・黒尊岳・甫与志岳の縦走コースである。単独で縦走したら、当然、出発したところへ帰らなくてはならない。その点、三岳参りでは登山口までマイクロバスで送ってくれ、下山したら迎えのバスが来ている。こんな有り難い話はない。

○それほど主催者である肝付町観光協会や縦走をサポートする肝付町三岳会にはお世話になっている。これからも大いに三岳参りを盛り上げ、開催し続けて欲しい。と言うのは、「肝付町三岳参り」は、単なる宗教行事では無いからである。

○「肝付町三岳参り」は本来、神代三山陵巡りなのである。今では完全にその起源を見失っているけれども、もともと、「肝付町三岳参り」は、吾平山陵を起点とし、高屋山陵を経て可愛山陵まで参拝する様式であったと思われる。つまり、祖霊信仰がその起源であろう。

○『何故、山に登るのか』。そういうふうに問われて、ジョージ・マロリーが『そこに山があるから』と答えた話は有名である。しかし、それは西洋の話であって、東洋では違う。東洋では山は聖地であって、むやみに登る対象ではない。山には精霊が宿っている。東洋では、山に登ることは、完全な宗教行為なのである。

○「肝付町三岳参り」を単なる登山と考えてはなるまい。「肝付町三岳参り」は立派な宗教行事だったのである。そういうことを考えて「肝付町三岳参り」はなされるべきである。

○「平成29年度:肝付町三岳まいり」へ参加して、すでに次のブログを書いている。
  ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『国見山が高屋山上陵であること』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40949781.html  
  ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『甫与志岳が可愛山陵であること』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40956911.html

○肝付町の隣町、鹿屋市吾平町には吾平山陵が存在する。つまり、神代三山陵は全て此処に存在していることが判る。整理すると、次のようになる。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝付町内之浦甫与志岳(叶岳)
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝付町内之浦国見山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○神代三代の御陵が全て此処に存在すると言うことが何を意味するか。それは此処が天皇家の故郷であると言うことである。神代三代は、天皇家の祖先なのだから。

○江戸時代に、国学者である白尾國柱が神代三山陵を懸命に捜索したのも、そういう理由からである。神代三山陵の所在地が天皇家の故郷であるから神代三山陵探索は行われた。

○現在、宮内庁が神代三山陵としているのは、次のようなところである。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県霧島市溝辺町麓の高屋山陵
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○しかし、神代三山陵がそんなにバラバラであること自体があり得ない。何故なら、神代三代は、親子孫の三代なのだから。そんなことにも配慮しない現在の神代三山陵比定地が本物であることは考えられない。

○ちなみに、白尾國柱は神代三山陵を次のように比定している。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○これが江戸時代に生きた白尾國柱の限界なのかもしれない。意外に時代の壁は大きいのである。それでも、白尾國柱の神代三山陵研究が寄与するところは大きい。白尾國柱の神代三山陵の研究を継承することによって、真実の神代三山陵が浮かび上がって来る。それが本ブログの神代三山陵の研究である。

○今どき、こういうふうに神代三山陵を問題にする人が居ないのが寂しい。それは神代三山陵問題がどういうことを意味するかが、まるで理解されていないからだろう。神代三山陵の存在するところが天皇家の故郷であると知ったら、誰でも興味を抱くのではないか。

○つまり、神代三山陵の存在するところが天皇家の故郷であると言うことは、日本の始まりが此処だと言うことに繋がる。肝付町で、肝付町が日向国の中心だと考える人がいったい、どれくらい存在するだろうか。今どきの言葉で言うと、世界の中心が肝付町であり、日本の始まりが肝付町だと言うことである。

○そんな美味しい話が「肝付町三岳参り」なのである。

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