○神代三山陵の先坣僑位は簡単に発見されたわけではない。そこに至るまでの長い研究が存在して初めて、神代三山陵の先坣僑位が出現したのである。それ以外にも、神代三山陵の先坣僑位には関係するものが存在した。それが大和三山である。
○本ブログに於ける大和三山の研究は古い。それは元号が改まった1989年ころにまで遡る。私が最初に大和三山へ登ったのは、平成4年(1992年)3月28日のことである。それ以前に大和三山については相当調べていた。平成4年(1992年)に大和三山へ登り、大和三山が邪馬台国三山のレプリカであることを確信した次第である。
○私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。何度も「万葉集」を読んだ方ならお判りのはずだが、「万葉集」の於ける大和三山の表現にはいろいろと問題がある。それが大和三山について考える契機となった。
●まず、ごく素朴な疑問から。大和三山である畝傍山・香具山・耳成山の名は、どういう意味か。それがそれぞれの山とどういう関係があるのか。大和三山へ登ってみると判るのだが、『うねびやま』は、標高わずか198.8辰両山であって、他の山と比べて、それ程うねっているわけでもない。それが『うねびやま』と命名される理由が判らない。
●香具山だってそうである。香具山の標高は152.4叩I當未砲蓮愿傾甬彁魁天香具山(あまのかぐやま、あめのかぐやま)』と呼び称されることが多い。奈良県橿原市に存在する香具山を見て、香具山が『かぐやま』と呼ばれることを説明することは、たぶん、誰にもできない。まして「あまの」が冠せられる理由など、もっと説明することは不可能だろう。
●万葉学者先生は、もっともらしく、「それは香具山が天から降って来たことに由来する。ちゃんと風土記にも書いてありますよ」とおっしゃるだろう。それが間違いのもとである。風土記にそういう記述は無い。あるのは、風土記逸文であって、残っていた文献は「釈日本紀」で、13世紀末のものである。採択したのは今井似閑(1657~1723)だと言うから、風土記逸文として採択された時期は江戸時代のことである。万葉学者先生がおっしゃるように風土記に載っているわけではない。万葉学者先生がおっしゃることを鵜呑みにしてはいけない。
●決定的なのは、香具山には枕詞が存在することだろう。それは「天降り付く」と言う。大野晋の「岩波古語辞典」には、次のように案内する。
天降りつく
〔枕詞〕香具山が天から降下したという伝説によって、「香具山」にかかる。「天降りつく天の香具
山霞立つ春に至れば」(万二五七)
●こういう枕詞「天降り付く」の万葉学者先生の説明自体が、まるで頓珍漢なものであることに驚く。山が天から降ってくるなど、古今東西、聞いたことがない。古代人を侮ってはならない。枕詞「天降り付く」には壮大な浪漫が存在する。
●奈良県橿原市に存在する香具山で枕詞「天降り付く」を説明することは誰にもできない。それは香具山が本物では無くてレプリカであることを意味する。つまり、枕詞「天降り付く」を説明することができるところこそが真実の香具山なのである。
●万葉学者先生はそういうことをまるでご存じ無い。それで奈良県橿原市に存在する大和三山で悪戦苦闘して説明なさる。そういう努力が徒労であることは言うまでも無い。
●日向国の万葉学では、枕詞「天降り付く」については、すでに完全に証明済みである。真実の香具山は奈良県橿原市には存在しない。それが存在するのは、もちろん、日向国である。話が長くなるので、詳しくは以下を参照されたい。
・書庫「竹島・硫黄島・黒島」:ブログ『枕詞「天降り付く」の真実』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37290249.html
●耳成山を発見することがもっとも難しかった。大和三山の中で、もっとも影の薄い存在が耳成山である。耳成山の名は強烈である。この名を説明することは容易なことではない。実際、耳成山には、次のような案内標識が存在する。
耳成山国有林
ここは歴史的にも有名な大和三山の一つで、
標高一三九、七辰隼飴海瞭發念貳崢磴、死火
山です。もとはもっと高い山でしたが、盆地の
陥没で沈下し、山の頭部が地上に残された単調
な円錐形で、人の顔にたとえれば耳が無いよう
な山なので、耳無山→耳成山と呼ばれるように
なったとも言われています。
耳無の 山のくちなし 得(え)てしがな
おもひの色の 下染(したぞめ)にせむ
「古今和歌集」 よみ人しらず
奈良森林管理事務所
●もっともな説だし、なかなか微笑ましい話である。しかし、そういうものに騙されてはなるまい。真実はもっと雄大で説得力のある話となる。上記の説明では、「耳無山→耳成山」と変化したと説くけれども、実際はそうではない。耳成山は最初から耳成山であった。そういうことは奈良県橿原市に存在する大和三山では決して説明できない。何故なら、大和三山はもともと日向国のものだからである。
◎上記に述べているように、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。それらの和歌を検証すると判るのだが、奈良県橿原市の大和三山で、万葉和歌の大和三山を説明することは、誰にもできない。それが本ブログの大和三山研究の発端であった。もう30年も昔の話である。
◎話が長くなるので、結論だけを案内すると、大和国には大和三山が存在する。
・畝傍山(199.2叩
・香具山(152.4叩
・耳成山(139.7叩
◎しかし、大和国の大和三山はレプリカであって、本物の大和三山ではない。本物は日向国に存在する。ただ、大和三山が二つもあると紛らわしい。それで、本ブログでは、真実の大和三山の方を邪馬台国三山と呼ぶようにしている。もちろん、そこが邪馬台国であるから、そう呼んでいる。
◎日向国の邪馬台国三山は、次のように案内される。
・きりしまのうねびやま(1700叩
・かごしまのかぐやま(1117叩
・ひらききのみみなしやま(924叩
◎なかなか信じ難い話だが、これが真実である。そして、これが日向国の万葉学でもある。