○前回の最後に、
○何とも見事な表現である。これが「三国志」の編者、陳壽の実力である。日本では愚弄されてばか
りの陳壽だが、中国では偉大な史家として尊崇されている。もちろん、私も陳壽を尊敬して止まない者
の一人である。陳壽は恐ろしい史家である。それは「魏志倭人伝」を読めば判る。誰もそういうふうに
「魏志倭人伝」を読まない。そういう意味では陳壽は不幸な史家でもある。あまりに立派過ぎて理解さ
れない史家なのだから。陳壽が生きた時代は三世紀だとされる。つまり、1800年経っても彼を理解
してくれる人が誰も居ないのである。
と書いたが、語弊があるといけないので、補足しておきたい。
○「三国志」の編者、陳壽は偉大な史家である。だから、彼を尊崇する人は多い。その筆頭は、何と言っても羅貫中だろう。羅貫中は14世紀の小説家であるから、三世紀の陳壽とはもちろん面識など無い。その羅貫中が書いたのが「三国志演義」である。
○何とも見事な表現である。これが「三国志」の編者、陳壽の実力である。日本では愚弄されてばか
りの陳壽だが、中国では偉大な史家として尊崇されている。もちろん、私も陳壽を尊敬して止まない者
の一人である。陳壽は恐ろしい史家である。それは「魏志倭人伝」を読めば判る。誰もそういうふうに
「魏志倭人伝」を読まない。そういう意味では陳壽は不幸な史家でもある。あまりに立派過ぎて理解さ
れない史家なのだから。陳壽が生きた時代は三世紀だとされる。つまり、1800年経っても彼を理解
してくれる人が誰も居ないのである。
と書いたが、語弊があるといけないので、補足しておきたい。
○「三国志」の編者、陳壽は偉大な史家である。だから、彼を尊崇する人は多い。その筆頭は、何と言っても羅貫中だろう。羅貫中は14世紀の小説家であるから、三世紀の陳壽とはもちろん面識など無い。その羅貫中が書いたのが「三国志演義」である。