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卑弥呼の正体:其の四十二

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○前回、卑弥呼は大山神祇であり、卑弥呼の現住所は鹿児島県鹿児島郡三島村だと言う話をした。加えて、海幸山幸である、火照命と火遠理命は彦火瓊々杵尊と木花開耶姫との間に生まれた子だから、卑弥呼の孫だと言う話もした。

○「魏志倭人伝」の記述は、「古事記」や「日本書紀」で検証しても、なかなか現実的な話になっていることが判る。「魏志倭人伝」と「古事記」「日本書紀」との間には500年もの時代差が存在するのに。もちろん、それは「古事記」や「日本書紀」が「魏志倭人伝」を読んでいて、参考にしているからだろう。そうでないと、ここまで話を合わせることはできない。

○ただ、「魏志倭人伝」と「古事記」「日本書紀」との間には、根本的な記述の違いと言うものも存在する。今回はその点に絞って話をしたい。それは天皇家の故郷と言う話になる。

○天皇家の故郷は何処か。それが神代三山陵の存在するところであることは間違いない。何故なら初代の天皇、神武天皇の父が彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊であり、祖父が彦火火出見尊、曾祖父が彦火瓊々杵尊だからである。

○つまり、日向神話は天皇家の故郷の物語であることが判る。江戸時代、に白尾國柱が「麑藩名勝考」を著して、あれ程懸命に神代三山陵を探索し続けたのは、そういう理由からである。神代三山陵探索が天皇家の故郷探訪であることを理解している人は少ない。結果、白尾國柱は神代三山陵を次のように比定している。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○高屋山陵や吾平山陵は、白尾國柱が指摘する通りで間違いない。しかし、可愛山陵が鹿児島県薩摩川内市の新田神社だとする話は、まるで現実味の無い話である。高屋山陵と吾平山陵とは隣接しているのに、可愛山陵だけが遥か遠方に存在する。それは考えられないことだろう。

○そういう白尾國柱の神代三山陵の研究を継承すると、真実の神代三山陵が見えて来る。それは次のように案内される。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○このように案内することは簡単だが、それを検証するのには、多大な時間と労力を必要とする。詳しくは、以下のブログを参照されたい。
  ・書庫「神代三山陵の研究」:16個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/144322.html?m=l&p=1

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