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卑弥呼の正体:其の四十三

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○現在、宮内庁が神代三山陵として比定しているところは、次の通りである。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県霧島市溝辺町麓の高屋山陵
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○しかし、それは真実の神代三山陵では無い。真実の神代三山陵は、次の通りとなる。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○今どき、神代三山陵の研究でも無いだろうとおっしゃるかも知れない。しかし、日本国が何処から始まったか。私たちは何処から来て、何処へ行こうとしているのか。そういうことを等閑にして生きて行くことはできない。自分が何者であるかも認識できないで生きていることは虚しい。

○そういう日本人の根源に拘わる問題が神代三山陵の研究なのである。江戸時代の国学者、白尾國柱は、その著「麑藩名勝考」序文に、そういう思いを述べている。もともと国学とは、そういう学問であったことを、なかなか人は理解しない。

○その神代三山陵に先坣僑位が存在する。そんな恐ろしい話を繰り返している。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=奈良県吉野郡天川村山上ケ岳・弥山
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=和歌山県伊都郡高野町高野山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=和歌山県田辺市本宮町本宮

○真実の神代三山陵を証明するのに、神代三山陵の先坣僑位ほど確かなものは無い。何故なら、真実の神代三山陵をそっくりそのまま勧請したものが神代三山陵の先坣僑位であるからだ。そうでなくては先坣僑位とは呼べない。

○こういうことは、古代人が宗教に生きていたからこそ再現できたものだと言えよう。同じように、古代人が日向国から大和国に持ち込んだものに大和三山がある。
  畝傍山(199.2m)
  香具山(152.4m)
  耳成山(139.7m)

○此処にある大和三山は標高200辰砲睨燭覆ぞ山に過ぎない。それを大和三山と大和国名を付し、崇め奉る理由は何だろうか。これまで大和三山には6回登頂しているが、大和三山に神威を感じることはまるでない。実に不思議な話である。

○ところが大和三山が勧請された山だと考えると、まるで話が違って来る。日向国の大和三山は次のように案内される。
  ・うねびやま=霧島山(1700叩
  ・かぐやま=桜島山(1117叩
  ・みみなしやま=開聞岳(924叩

○これが真実の大和三山であることは間違いない。ただ、大和三山が二つも存在するのでは、話が混乱する可能性が高い。それで、従来の大和三山はそのままとし、日向国の大和三山を邪馬台国三山と呼び称することにしている。もちろん、それは邪馬台国三山が存在することろが邪馬台国だからである。

○『うねびやま』はその名の通り、どの山よりもうねっていなくてはならない。しかし、大和国の畝傍山はそうではない。それに対して日向国の『うねびやま=霧島山(1700叩法戮蓮△匹了海茲蠅Δ佑辰討い襪ら凄い。

○同じように、『かぐやま』とは、火の山を意味する。それなら『かぐやま』は活火山だろう。しかし、大和国の香具山はごくごく普通の丘であって、標高も152.4mしかない。もちろん、火山などではない。それに対して、日向国の『かぐやま=桜島山(1117叩法戮論┐ぁK萋丱鵐丱麒火を繰り返している。

○『かぐやま=桜島山(1117叩法戮『かぐやま』であることの決定的な根拠の一つに、『天の香具山』と言う呼称がある。大和三山で『天の』が付す山は香具山だけである。つまり、香具山は残りの二つの山とは決定的に異なる要素が存在する。それが『天の』が付すことの理由となっている。

○それは『天の香具山』と『天橋立』とが同じであることだろう。『天橋立』は、海に存在するから『あまのはしだて』と称される。つまり、香具山は海に存在する山なのである。そのことは『かぐやま=桜島山(1117叩法戮鮓れば、誰でも納得することである。

○ちなみに、『かぐやま=桜島山(1117叩法戮らはきれいに『うねびやま=霧島山(1700叩法戮鯔召爐海箸出来るし、『かぐやま=桜島山(1117叩法戮らは、『みみなしやま=開聞岳(924叩砲世辰童ることが出来る。もちろん、霧島山からは桜島山と開聞岳が見えるし、開聞岳からも桜島山と霧島山が遠望される。

○最後に、『みみなしやま=開聞岳(924叩法戮量召鮴睫世垢襪海箸蓮△覆なか容易では無い。誰もが『みみなしやま』の名に苦しめられている。しかし、耳成山の枕詞が『ひらききのみみなしやま』であることを考えると、そのことが氷解する。

○開聞岳の麓には、開聞岳を北から南へ遥拝する位置に枚聞神社が鎮座まします。枚聞神社の御名は『ひらききのかみつやしろ』と申し上げる。もともと開聞岳は枚聞岳であって、『ひらききのみみなしやま』だった。それで『ひらききのたけ』とも『みみなしやま』とも呼び称した。

○具体的には、『みみなしやま』とは、境界を成す山の謂いである。邪馬台国の大地の南端が『みみなしやま』だと言うことである。『みみなしやま』の南は、もう大海である。そういう陸地と海とのはざまに立つ山が『みみなしやま』なのである。

○それを、『ひらききのみみなしやま』と表現する知性には喝采を送らずには居られない。古代人には、そういう精神的余裕が感じられる。現代人のように齷齪としていない。そうでなくては、邪馬台国のレプリカを大和国に創ることなど、考えられない。

○神代三山陵の先坣僑位にしたところで、同じだろう。神代三山陵の先坣僑位である、
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=奈良県吉野郡天川村山上ケ岳・弥山
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=和歌山県伊都郡高野町高野山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=和歌山県田辺市本宮町本宮
が、奇しくも、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界文化遺産に登録されている。

○「紀伊山地の霊場と参詣道」は世界文化遺産と言いながら、まるでその文化がどういうものであったかを理解していない。もともと「紀伊山地の霊場と参詣道」は神代三山陵の先坣僑位であったのである。そういう認識が文部科学省や文化庁にはまるで無い。日本の文化行政のレベルはその程度と言われて仕方があるまい。

○次回は、そういうことについて触れてみたい。

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