○2017年7月4日(火)に、たまたまテレビを見ていて、NHK教育テレビの番組、『邪馬台国はどこにある?古代ミステリーを楽しもう:前編』と、同じ日の午後10時から放送された『邪馬台国はどこにある?古代ミステリーを楽しもう:後編』を見た。
○NHK教育テレビの番組『邪馬台国はどこにある?古代ミステリーを楽しもう』を見て、驚いた。邪馬台国や卑弥呼は古代ミステリーであって、楽しむものだと言う。何とも高尚な話ではないか。これは大いに楽しもうと番組を見てがっかりさせられた。
○邪馬台国や卑弥呼は中国の正史「三国志」に書かれた史実なのである。日本ではその部分、1986字を「魏志倭人伝」と命名し読んでいる。楽しむのであれば、当然、「三国志」とか「魏志倭人伝」を読んで解き明かしてくれるのだろうと期待した。
○ところが、NHK教育テレビの番組『邪馬台国はどこにある?古代ミステリーを楽しもう』は、全然、「三国志」や「魏志倭人伝」を読もうとしない。それで邪馬台国や卑弥呼を語ると言うのだから、まさにこれは詐欺以外の何者でも無い。
○それは違うだろう。そう思って『卑弥呼の正体』と命名して、書き始めた。最初に、
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『邪馬台国はどこにある?』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41011902.html?type=folderlist
を書いたのが7月8日で、次に、
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『卑弥呼の鬼道』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41013548.html?type=folderlist
を7月9日に、続けて、
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『卑弥呼の正体:其の一』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41014976.html?type=folderlist
を7月10日に書いている。
●今日は10月7日だから、『卑弥呼の正体』を三か月も書き続けていることになる。それくらい、卑弥呼の正体は明らかになっていることの証である。邪馬台国や卑弥呼を解明するのであれば、「魏志倭人伝」を読むこと以外に道は無い。
●そういうことは、誰もが判っている。判って居ながら、「魏志倭人伝」を読まない。それは単に「魏志倭人伝」が読めないだけのことに過ぎない。「魏志倭人伝」を読むことは、それ程難しい。
●「魏志倭人伝」は字数1986字に過ぎない。字を眺めるだけであれば、5分もあれば、誰だって読むことが出来る。ところが三世紀に書かれた「魏志倭人伝」は21世紀の現代に於いても未だに読まれていないのが実情である。「魏志倭人伝」を読むことは、それ程難しい。
●まず、そういうことを理解する必要がある。もともと中国の史書はそういうものだと言うことを、なかなか人々は理解しない。中国の史書は中国の専門史家のみを読者対象とする、極めて特殊な書物なのである。だから、普通の中国人には、まず中国の史書は読めない。そういうことは中国人にはよく理解されている。だから、普通の中国人は中国の史書を読もうとなど、考えない。
●それに対して、日本人は違う。「魏志倭人伝」は誰でも読めると信じて疑わない。自分にはその能力があると信じ切っている。とんでもない勘違いである。司馬遷の「史記」を通読したことも無い方に、「魏志倭人伝」が読めることなど、あり得ない。それが中国の常識である。
◎結果、日本には「魏志倭人伝」を読んだとする書物が溢れている。それもほとんどが専門外の人が読んだものばかりである。不思議なことに、専門家はほとんど「魏志倭人伝」を読もうとなさらない。専門家ほど、「魏志倭人伝」の難しさを理解していらっしゃる。だから、読まない。極めて賢い判断である。
○NHK教育テレビの番組『邪馬台国はどこにある?古代ミステリーを楽しもう』を見て、驚いた。邪馬台国や卑弥呼は古代ミステリーであって、楽しむものだと言う。何とも高尚な話ではないか。これは大いに楽しもうと番組を見てがっかりさせられた。
○邪馬台国や卑弥呼は中国の正史「三国志」に書かれた史実なのである。日本ではその部分、1986字を「魏志倭人伝」と命名し読んでいる。楽しむのであれば、当然、「三国志」とか「魏志倭人伝」を読んで解き明かしてくれるのだろうと期待した。
○ところが、NHK教育テレビの番組『邪馬台国はどこにある?古代ミステリーを楽しもう』は、全然、「三国志」や「魏志倭人伝」を読もうとしない。それで邪馬台国や卑弥呼を語ると言うのだから、まさにこれは詐欺以外の何者でも無い。
○それは違うだろう。そう思って『卑弥呼の正体』と命名して、書き始めた。最初に、
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『邪馬台国はどこにある?』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41011902.html?type=folderlist
を書いたのが7月8日で、次に、
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『卑弥呼の鬼道』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41013548.html?type=folderlist
を7月9日に、続けて、
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『卑弥呼の正体:其の一』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41014976.html?type=folderlist
を7月10日に書いている。
●今日は10月7日だから、『卑弥呼の正体』を三か月も書き続けていることになる。それくらい、卑弥呼の正体は明らかになっていることの証である。邪馬台国や卑弥呼を解明するのであれば、「魏志倭人伝」を読むこと以外に道は無い。
●そういうことは、誰もが判っている。判って居ながら、「魏志倭人伝」を読まない。それは単に「魏志倭人伝」が読めないだけのことに過ぎない。「魏志倭人伝」を読むことは、それ程難しい。
●「魏志倭人伝」は字数1986字に過ぎない。字を眺めるだけであれば、5分もあれば、誰だって読むことが出来る。ところが三世紀に書かれた「魏志倭人伝」は21世紀の現代に於いても未だに読まれていないのが実情である。「魏志倭人伝」を読むことは、それ程難しい。
●まず、そういうことを理解する必要がある。もともと中国の史書はそういうものだと言うことを、なかなか人々は理解しない。中国の史書は中国の専門史家のみを読者対象とする、極めて特殊な書物なのである。だから、普通の中国人には、まず中国の史書は読めない。そういうことは中国人にはよく理解されている。だから、普通の中国人は中国の史書を読もうとなど、考えない。
●それに対して、日本人は違う。「魏志倭人伝」は誰でも読めると信じて疑わない。自分にはその能力があると信じ切っている。とんでもない勘違いである。司馬遷の「史記」を通読したことも無い方に、「魏志倭人伝」が読めることなど、あり得ない。それが中国の常識である。
◎結果、日本には「魏志倭人伝」を読んだとする書物が溢れている。それもほとんどが専門外の人が読んだものばかりである。不思議なことに、専門家はほとんど「魏志倭人伝」を読もうとなさらない。専門家ほど、「魏志倭人伝」の難しさを理解していらっしゃる。だから、読まない。極めて賢い判断である。