○『紀伊山地の霊場と参詣道』は、2004年に世界文化遺産に登録されたと言う。もちろん、登録したのは文化庁である。『紀伊山地の霊場と参詣道』と言うネーミングも文化庁に拠るものなのだろうが、もともとから『紀伊山地の霊場と参詣道』と言うまとまった概念が存在するわけではない。それはまさしく、文化庁の創作と言うしかない。
○そのことは、前回に詳しく触れた。つまり、『紀伊山地の霊場と参詣道』を形成しているのは、文化庁に拠れば、 峙般遏β臺廰◆峽野三山」「高野山」の三点盛りとなる。ところが和歌山県世界遺産センターでは、それが、 峽野三山」◆峭睫郢魁廰「吉野・大峯」と大きく変化する。そんな世界文化遺産が存在するだろうか。
○もっとも、文化庁の『紀伊山地の霊場と参詣道』が、どうして 峙般遏β臺廰◆峽野三山」「高野山」の順序になったか。是非とも伺いたいものである。おそらく、文化庁の文化的判断が 峙般遏β臺廰◆峽野三山」「高野山」の順序だったと言うことではないか。
○しかし、「吉野・大峯」・「熊野三山」・「高野山」と言う認識の仕方自体にすでに問題があると言うしかない。本当は吉野山・高野山・熊野本宮と並べるべきである。熊野三山を尊重するのであれば、吉野三山・高野三山・熊野三山と並べるべきだろう。その実体は、次の通りである。
【吉野三山】
・大峰山(山上ケ岳:1719叩
・稲村ケ岳(1726叩
・大天井ケ岳(1438叩
【高野三山】
・転軸山(915叩
・楊柳山(1009叩
・摩尼山(1004叩
【熊野三山】
・熊野本宮大社
・熊野速玉大社
・熊野那智大社
●すでに吉野山では吉野三山信仰を見失っている。しかし、吉野山文化を遡ることに拠って、吉野三山を復元できる。それを成し遂げたのも当古代文化研究所の研究成果であると自負する。
●それよりも何よりも、世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』が『神代三山陵の先坣僑位』であると言うことを当古代文化研究所が発見した功績の方が遥かに大きい。神代三山陵の先坣僑位などと言うことを誰が思い付くであろうか。見付けてびっくりと言うのが本心であった。
●神代三山陵の先坣僑位の発見は、それがそのまま真実の神代三山陵に直結すると言う点で重要である。
○そのことは、前回に詳しく触れた。つまり、『紀伊山地の霊場と参詣道』を形成しているのは、文化庁に拠れば、 峙般遏β臺廰◆峽野三山」「高野山」の三点盛りとなる。ところが和歌山県世界遺産センターでは、それが、 峽野三山」◆峭睫郢魁廰「吉野・大峯」と大きく変化する。そんな世界文化遺産が存在するだろうか。
○もっとも、文化庁の『紀伊山地の霊場と参詣道』が、どうして 峙般遏β臺廰◆峽野三山」「高野山」の順序になったか。是非とも伺いたいものである。おそらく、文化庁の文化的判断が 峙般遏β臺廰◆峽野三山」「高野山」の順序だったと言うことではないか。
○しかし、「吉野・大峯」・「熊野三山」・「高野山」と言う認識の仕方自体にすでに問題があると言うしかない。本当は吉野山・高野山・熊野本宮と並べるべきである。熊野三山を尊重するのであれば、吉野三山・高野三山・熊野三山と並べるべきだろう。その実体は、次の通りである。
【吉野三山】
・大峰山(山上ケ岳:1719叩
・稲村ケ岳(1726叩
・大天井ケ岳(1438叩
【高野三山】
・転軸山(915叩
・楊柳山(1009叩
・摩尼山(1004叩
【熊野三山】
・熊野本宮大社
・熊野速玉大社
・熊野那智大社
●すでに吉野山では吉野三山信仰を見失っている。しかし、吉野山文化を遡ることに拠って、吉野三山を復元できる。それを成し遂げたのも当古代文化研究所の研究成果であると自負する。
●それよりも何よりも、世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』が『神代三山陵の先坣僑位』であると言うことを当古代文化研究所が発見した功績の方が遥かに大きい。神代三山陵の先坣僑位などと言うことを誰が思い付くであろうか。見付けてびっくりと言うのが本心であった。
●神代三山陵の先坣僑位の発見は、それがそのまま真実の神代三山陵に直結すると言う点で重要である。