○「古事記」や「日本書紀」を丁寧に読むと、様々なことが実によく考えられ、創意工夫して表現されていることに驚く。その一つが「日本書紀」巻三十、持統紀の吉野御幸である。持統天皇は九年間に31回もの吉野御幸を繰り返している。これは尋常の回数ではない。
○これだけ文明が発達した時代でさえ、九年間に31回も出掛けると言うところは、余程の場所である。他家へ嫁いだ嫁でさえ、余程近在で無い限り、実家へこれほど帰ることも無い。何が持統天皇をして、これまで吉野へ駆り立てたのであろうか。
○実に興味深い研究テーマであると判断し、いろいろと考えてみた。最終的には天皇家の宗教行事に関係してくると考えざるを得ない。持統天皇が女帝であることも考えてみたが、そういうものも何も吉野には無い。
○何も無いと述べたが、正確には無いことも無い。それは修験道の開祖とされる役行者役小角(634~701)と持統天皇(645~703)とは、ほぼ同時代の人であると言うことである。ただ、二人の間に接点があったことは、意外なほど何も無い。これ程有名人同士であるにも拘らず、記録が無いのである。
○無ければ無いで、また疑ってしまう。ただ、火の無いところに煙は立たない。煙が見えない以上、疑ってもどうすることもできない。それに両者の生活があまりに違い過ぎることも要因となろう。
●そういうふうに、散々あれこれ考えた挙句、行き着いた先が宗教である。天皇家の宗教行事でもっとも大事なのは祖霊信仰ではないか。それなら得心する。
●そんな勝手な考え方で物事が解決するわけでもない。祖霊信仰だと言うのなら、それを証明することが必要になる。そういうことをあれこれ考えたのが次のブログである。
・書庫「吉野山の正体」:40個のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/389714.html?m=l&p=1
●長い長い推敲の末に出現したのが可愛山陵であった。「可愛」と書いて『え』と読む。何しろ、天孫降臨の尊の御陵であるから、その名も素晴らしい。
●持統天皇の夫である天武天皇の御製歌として有名な吉野宮歌がある。
天皇の、吉野の宮に幸しし時の御製歌
よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見つ
「万葉集」巻一(二十七)
●この和歌などを見ると判るのだが、この和歌が天武天皇の御製歌であることはあり得ない。そんなに新しい和歌では無いからである。「万葉集」には、このような和歌が多い。後世に、その地に合った故事に因んで作者名が変わる。
●「万葉集」には、持統天皇作歌が4首あるが、有名なのは、何と言っても次の和歌だろう。
春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣乾したり 天の香具山
「万葉集」巻一(二十八)
●この和歌は小倉百人一首にも採られ、有名ではあるけれども、決して作者名を信じてはなるまい。この和歌にしたところで、原型は民歌であることは間違いない。それ程典型的な和歌である。
◎問題は、吉野がそういうところであると言うことである。彦火瓊々杵尊の御陵は可愛山陵と言う。吉野山とは何の関係も無いではないかとおっしゃるかも知れない。しかし、吉野山は「えのやま」とも読む。と言うより、もともと「えのやま」に字を当てて吉野山としたと言う方が適切であろう。
◎役行者役小角にしたところで、同じである。吉野山で修行した行者だから「えの行者」であるに過ぎない。もちろん、役は当て字に過ぎない。
◎そういうふうに一つ一つ検証して行くと、神代三山陵の先坣僑位が見えてくる。それには、まず先に、真実の神代三山陵を見付けることが肝要であることは言うまでも無い。真実の神代三山陵は白尾國柱の研究が基本になる。それ程、白尾國柱には神代三山陵がよく見えている。
◎現在、肝付町観光協会の主催で、『肝付町三岳まいり』が開催されている。昨年今年と二回参加させていただいた。
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『第2回肝付町三岳まいり』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40372910.html
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『平成29年度:肝付町三岳まいり』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40946098.html
◎何気ない田舎町の田舎行事だと侮ってはならない。「肝属町の三岳参り」の原型が神代三山陵であることは間違いない。何と古代から現代に至るまで、途切れたりはしているけれども、「肝属町の三岳参り」が続いていることに驚く。
◎肝付町観光協会主催の『肝付町三岳まいり』が世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の原型なのである。『肝付町三岳まいり』のコピーが世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』なのである。それなら、『肝付町三岳まいり』も当然、最低でも、世界文化遺産くらいにはなる。肝付町観光協会が行っている『肝付町三岳まいり』はそんな偉大な行事であることを大いに誇って欲しい。