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日本への仏教伝来

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○日本への仏教伝来は、六世紀とするのが一般的である。例を挙げると、ウィキペディアフリー百科事典では仏教公伝ではあるけれども、次のように説明する。
      仏教公伝
   仏教公伝(ぶっきょうこうでん)は、国家間の公的な交渉として仏教が伝えられることを指す。上代
  の日本においては6世紀半ばの欽明天皇期、百済から古代日本(大和朝廷)への仏教公伝のことを指すのが
  一般的であり、この項でもそれについて説明する。単に仏教伝来と称されて来たが、後述のごとく公伝
  以前に、すでに私的な信仰としては伝来していたと考えられるため、「公伝」と称されることが多い。
  【公伝以前の状況】
   古代の日本には、古くから多くの渡来人(帰化人)が連綿と渡来してきており、その多くは朝鮮半島
  の出身者であった。彼らは日本への定住にあたり氏族としてグループ化し、氏族内の私的な信仰として
  仏教をもたらし、信奉する者もいたと思われる。彼らの手により公伝以前から、すでに仏像や経典はも
  たらされていたようである。522年に来朝したとされる司馬達等(止利仏師の祖父)などはその好例で、
  すでに大和国高市郡において本尊を安置し、「大唐の神」を礼拝していたと『扶桑略記』にある。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%85%AC%E4%BC%9D

○ただ、前回、ブログ『卑弥呼の鬼道』で紹介したように、大峯山信仰が三山信仰であり、それが『大峰山・大天井ケ岳・稲村ケ岳』であったとすれば、その原型が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島の『硫黄岳・矢筈岳・稲村岳』であることは間違いない。

○同じように、卑弥呼の現住所を探ると、それは鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島へ行き着く。これが偶然の結果であると考えることは難しい。詳しくは以下を再度確認されたい。
  ・書庫「大和三山」:ブログ『卑弥呼の鬼道』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41188063.html

○つまり、『卑弥呼の鬼道』とは、仏教に他ならない。三世紀にすでに日本へは仏教が伝来していたことになる。それは朝鮮半島の仏教需要が四世紀後半から五世紀初めとされるよりも早いことになる。

○私たちは中国文化が朝鮮半島経由で入って来ていると妄信してやまない。しかし、それなら、日本国の創世は福岡辺りだったに違いない。日本国創世が北九州ではなく、南九州の日向国であるには、当然、意味がある。そう考える。

●当古代文化研究所では、これまで5回浙江省舟山群島を訪れている。
  ・第一回:2012年3月12日:書庫「海天佛国:普陀山」:31個のブログ
    http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1204492.html?m=l
  ・第二回:2012年7月18日:書庫「普陀山・洛迦山」:29個のブログ
    http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1210153.html?m=l&p=1
  ・第三回:2012年11月10日:書庫「寧波三歩・洛迦山参詣」:34個のブログ
    http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1221590.html?m=l&p=1
  ・第四回:2013年3月16日:書庫「観音信仰の島:普陀山」:14個のブログ
    http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1228925.html?m=l
  ・第五回:2013年10月13日:書庫「日本仏教伝来の普陀山」:37個のブログ
    https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1241668.html?m=l&p=1

●だから、これまで普陀山については145個ものブログを書いていることになる。日本への仏教伝来がこの普陀山経由であることは、日本仏教の性格からしても疑いない。学者先生は何故か、そういう肝心の研究をなさらない。

●日本仏教伝来のルートもはっきりしている。それは次のように案内される。
  ・中国舟山群島普陀山→吐噶喇列島宝島(600辧
  ・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
  ・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
  ・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
  ・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
  ・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧

●この硫黄島が卑弥呼の居住地であり、坊津は邪馬台国の主交易港である。後世、坊津は日本三津の筆頭に挙げられるが、それはこういう歴史的背景からであることは言うまでもない。なかなか歴史学者先生はそういうものの見方をなさらない。

●同じように、遣唐使船には南島路が存在した。この遣唐使船南島路にしたところで、歴史学者先生はまるで問題になさらない。それは日本の歴史をご存じ無いからである。日本の歴史上、有史以来、ずっと日本国最南端が何処であったかさえ、確認されない。そんなふうで日本の歴史を語ったところで、何も見えて来ない。

◎日本への仏教伝来が三世紀であったことを中国の史書「三国志」が記録している。それが卑弥呼の鬼道である。そのことは硫黄島を訪問しない限り、見えて来ない。当古代文化研究所では、これまで6回硫黄島を訪れている。
  ・2009年5月30日(土)
  ・2009年6月11日(木)
  ・2010年10月30日(土)・31日(日)
  ・2011年3月13日(日)から18日(金)
  ・2011年11月25日(金)から29日(火)
  ・2012年8月22日(水)

◎「百聞不如一見」と言う。是非、硫黄島へお出掛けを。そうすれば邪馬台国の女王、卑弥呼の肖像も見えて来る。彼女はシャーマンなどではない。おそらく中国語を解したし、敬虔な仏教徒であったことが判る。まだ、中国でも新興宗教に過ぎなかった仏教をいち早く日本へ導入したのが卑弥呼である。だから、彼女は倭国二十九国の女王となり得たのである。

◎「三国志」を読むと、編者である陳壽の卑弥呼に対する親近感が強く感じられる。そして陳壽が卑弥呼を誰よりも尊敬していることも見逃せない。その言葉が次の言葉である。
  中國失禮,求之四夷,猶信。
読むと、次のような書き下し文となる。
  中國の禮を失し、之を四夷に求む。猶ほ信ずるがごときなり。
おまけで訳すと、
  中国が礼儀作法を見失い、それを東夷の倭人に見付けた。信じられないかも知れないが本当である。

◎中国で、これ以上の敬意は無い。「三国志」は中国の正史である。つまり、国歌公認の史書と言うことである。文中、『四夷』とあるけれども、東夷の中で褒められているのは倭人だけである。と言うことは、中国が喪失している礼儀作法を古法通り保持しているのが倭国であり、それをきちんと治めているのが倭国の女王、卑弥呼だと言うことになる。

◎これが正しい「魏志倭人伝」の読み方である。基本的に「魏志倭人伝」は日本人には読めない。何故なら、もともと中国の史書は、中国の専門史家のみを読者対象とする、極めて特殊な書物だからである。

◎だから、「魏志倭人伝」を日本人が読もうとするなら、中国で読むに如くは無い。それも、寧波か会稽がふさわしい。そういう中国人の常識を身に付けない限り、「魏志倭人伝」は読めない。併せて、司馬遷の「史記」が愛読書くらいでないと無理だろう。

◎今年も3月、5月、10月と中国を訪問して来た。12月にも行く予定である。丁寧に本を読み、丁寧に中国を歩く。そうしない限り、「魏志倭人伝」は読めない。「魏志倭人伝」は、わずか1986字の字数しかない。それでも、三世紀の日本を案内するものは、これしかない。丁寧に読むこと。それが編者、陳壽に対する、せめてもの敬意である。

◎「魏志倭人伝」は非常によくできている。それはそうだろう。百年に一人出るか出ないかの大天才が陳壽なのだから。だから、陳壽に負けないくらいの奮闘努力をしないと「魏志倭人伝」は読めない。

◎陳壽がどれほどの天才であるかは、彼が案内する倭国三十国の案内を見るとよく判る。それは、次のように案内される。
  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

◎倭国三十国を案内しろと言われて、あなたならどう案内するか。考えて欲しい。その答えがこれである。こんな表現を案出する人を大天才と呼ばない方がどうかしている。陳壽は間違いなく大天才である。この表現法はそれこそ、空前絶後、あまりに見事過ぎる。

◎あまりに見事過ぎて、「三国志」が書かれて1700年も経つと言うのに、頭の悪い日本人はこういうふうに読み解くことができない。何とも酷い、みっともない話である。まあ、天才と言う者は、そういうものだと諦めていただくしかない。

◎「完読魏志倭人伝」(2010年刊:高城書房)に、「魏志倭人伝」の読み方は案内してある。「魏志倭人伝」の読み方を知りたい方は、そちらを参照されたい。

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