○卑弥呼の現住所は何処か。それは鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島だと答えるしかない。今回はその話をしたい。最初に取り組むべきは、邪馬台国の所在地が何処かと言う話になる。
○これまで邪馬台国が畿内に存在するとか北九州だと言う説が有力であった。しかし、邪馬台国や卑弥呼は中国の史書「三国志」に書かれた史実である。その「三国志」を離れて邪馬台国や卑弥呼が存在することはあり得ない話である。
○私が読んでいる「三国志」は中華書局出版のもので全5冊となっている。前書きには、次のようにある。
三国志
(全五冊)
〔晋〕陳壽 撰
陳乃乾校点
中華書局出版
(北京王府井大街38号)
新華書店北京発行所発行
北京第二新華印刷厳印装
1959年12月第1版・1982年7月第2版・1985年8月北京第8次印刷
○ただ、「三国志」魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝・倭人の条に関しては、岩波文庫「魏志倭人伝他三篇」を利用している。校本としては、中華書局出版のものよりは優れると判断するからである。
○ただ、日本では、「三国志」魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝・倭人の条を「魏志倭人伝」と称しているから、此処でも、それに従う。「魏志倭人伝」の全字数は1986字である。だから、印字すれば1ページに軽く収まる分量である。
○たかだか1986字と言う勿かれ。三世紀の日本の状況を記録した書物はこの「魏志倭人伝」以外に存在しないのだから。日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」の成立は八世紀とされる。「魏志倭人伝」との間には五百年もの時代差がある。加えて、「魏志倭人伝」が記録している倭国はほぼ同時代の記録であることも評価される。
○「魏志倭人伝」が非常によくできている史書であることに誰も気付いていないのが残念である。「三国志」の編者である陳壽がどれだけのエネルギーを労して「魏志倭人伝」をものしたか。そういうふうに「魏志倭人伝」を読もうとしない限り、読めない。「魏志倭人伝」が書かれたのは三世紀だと言うのに、二十一世紀の現代になっても「魏志倭人伝」は読めていない。それは明らかに怠慢そものと言うしかない。
○もっとも中国人にとって、「魏志倭人伝」はどうでも良いことなのかも知れない。「魏志倭人伝」読解を希求して止まないのは当事者である日本人だろう。すでに「日本書紀」に「魏志倭人伝」を読んだ痕跡が見られる。したがって少なくとも八世紀から二十一世紀の現代まで、千四百年ものあいだ、日本人が「魏志倭人伝」を読み続けていることは間違いない。それでも解読できない「魏志倭人伝」とは、どんな代物なのだろうか。興味は尽きない。
○結果、多くの人々が「魏志倭人伝」に挑戦して止まない。邪馬台国ブームであった時代には一年に四百冊もの邪馬台国関係の書物が出版されたと言う記録もある。これだけ研究し尽くされて、それでも解読できない「魏志倭人伝」だから、「魏志倭人伝」そのものに問題があると言う学者先生が多い。
○とんでもない話である。解読できないのには、それなりの理由がある。まず、「魏志倭人伝」は中国の正史である「三国志」の一部であることを確認しておきたい。中国の史書は中国の専門史家のみを読者対象とした、極めて特殊な書物なのである。中国の人であっても、専門史家で無い限り、読解することはできない。それが中国の常識である。
○だから、中国では専門の史家で無い限り、中国の史書に手を出したりはしない。ところが日本はまるで違う。誰でも「魏志倭人伝」くらい読めると思っている。誰も読めないのなら、自分が読んでやると野心を抱く。それで邪馬台国ブームが発生し、それこそ無数の書物が出版された。その契機ともされる宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」が出版されたのは昭和42年(1967年)のことである。
○これまで邪馬台国が畿内に存在するとか北九州だと言う説が有力であった。しかし、邪馬台国や卑弥呼は中国の史書「三国志」に書かれた史実である。その「三国志」を離れて邪馬台国や卑弥呼が存在することはあり得ない話である。
○私が読んでいる「三国志」は中華書局出版のもので全5冊となっている。前書きには、次のようにある。
三国志
(全五冊)
〔晋〕陳壽 撰
陳乃乾校点
中華書局出版
(北京王府井大街38号)
新華書店北京発行所発行
北京第二新華印刷厳印装
1959年12月第1版・1982年7月第2版・1985年8月北京第8次印刷
○ただ、「三国志」魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝・倭人の条に関しては、岩波文庫「魏志倭人伝他三篇」を利用している。校本としては、中華書局出版のものよりは優れると判断するからである。
○ただ、日本では、「三国志」魏書・巻三十・烏丸鮮卑東夷伝・倭人の条を「魏志倭人伝」と称しているから、此処でも、それに従う。「魏志倭人伝」の全字数は1986字である。だから、印字すれば1ページに軽く収まる分量である。
○たかだか1986字と言う勿かれ。三世紀の日本の状況を記録した書物はこの「魏志倭人伝」以外に存在しないのだから。日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」の成立は八世紀とされる。「魏志倭人伝」との間には五百年もの時代差がある。加えて、「魏志倭人伝」が記録している倭国はほぼ同時代の記録であることも評価される。
○「魏志倭人伝」が非常によくできている史書であることに誰も気付いていないのが残念である。「三国志」の編者である陳壽がどれだけのエネルギーを労して「魏志倭人伝」をものしたか。そういうふうに「魏志倭人伝」を読もうとしない限り、読めない。「魏志倭人伝」が書かれたのは三世紀だと言うのに、二十一世紀の現代になっても「魏志倭人伝」は読めていない。それは明らかに怠慢そものと言うしかない。
○もっとも中国人にとって、「魏志倭人伝」はどうでも良いことなのかも知れない。「魏志倭人伝」読解を希求して止まないのは当事者である日本人だろう。すでに「日本書紀」に「魏志倭人伝」を読んだ痕跡が見られる。したがって少なくとも八世紀から二十一世紀の現代まで、千四百年ものあいだ、日本人が「魏志倭人伝」を読み続けていることは間違いない。それでも解読できない「魏志倭人伝」とは、どんな代物なのだろうか。興味は尽きない。
○結果、多くの人々が「魏志倭人伝」に挑戦して止まない。邪馬台国ブームであった時代には一年に四百冊もの邪馬台国関係の書物が出版されたと言う記録もある。これだけ研究し尽くされて、それでも解読できない「魏志倭人伝」だから、「魏志倭人伝」そのものに問題があると言う学者先生が多い。
○とんでもない話である。解読できないのには、それなりの理由がある。まず、「魏志倭人伝」は中国の正史である「三国志」の一部であることを確認しておきたい。中国の史書は中国の専門史家のみを読者対象とした、極めて特殊な書物なのである。中国の人であっても、専門史家で無い限り、読解することはできない。それが中国の常識である。
○だから、中国では専門の史家で無い限り、中国の史書に手を出したりはしない。ところが日本はまるで違う。誰でも「魏志倭人伝」くらい読めると思っている。誰も読めないのなら、自分が読んでやると野心を抱く。それで邪馬台国ブームが発生し、それこそ無数の書物が出版された。その契機ともされる宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」が出版されたのは昭和42年(1967年)のことである。