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Channel: 古代文化研究所
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天皇家の故郷

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○白尾國柱の「麑藩名勝考」が何の為に書かれたか。著者である白尾國柱は、その巻頭言でそのことに触れている。白尾國柱が「麑藩名勝考」を書いたのは、神代三山陵の探求にあった。そういう話を、前回のブログでした。
  ・書庫「大和三山」:ブログ『白尾國柱著「麑藩名勝考」』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41200458.html

○今どき、神代三山陵の研究など、誰もなさらない。と言うのは、現代に於いては、神代三山陵そのものが世の中から完全に忘れ去られてしまっている観がある。しかし、日本の歴史を学習するのであれば、神代三山陵は絶対に避けて通れない関門となる。そういう肝心のことを多くの人が理解していない。と言うか、理解できていない。

○ちなみに、ウィキペディアフリー百科事典が案内する神代三山陵は、次の通り。
      神代三山陵
   神代三陵(かみよさんりょう)または神代三山陵は、可愛山陵(瓊瓊杵尊陵)・高屋山上陵(彦火火
  出見尊陵)・吾平山上陵(鸕鷀草葺不合尊陵)の総称。いずれも宮内庁により鹿児島県内に治定されて
  いる。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E4%B8%89%E9%99%B5

○私たちは、歴史の専門で無い限り、上記のような説明を見て、なるほどと納得して済ませてしまう。何しろ、宮内庁が明治時代から管理しているという代物だから、異論を唱えることもない。

●そういう神代三山陵が気になったのは、白尾國柱の「麑藩名勝考」を読んだからである。白尾國柱は神代三山陵探求の成果として、「麑藩名勝考」をものしたと明記している。つまり、白尾國柱の最大の関心事が神代三山陵であった。

●普通に考えれば、何と言う物好きだと思ってしまう。神代三代の御陵を研究するなど、普通の人の考えることではない。白尾國柱は国学者だとされる。そういう特別な思想の持ち主だから、神代三代の御陵を研究なさるのだと勘違いする。とんでもない話である。

●白尾國柱が現代に生きていたとしても、彼は間違いなく、神代三山陵の研究に勤しんだのではないか。それほど、神代三山陵の研究と言うのには価値がある。まずは、それを理解することから始める必要がある。それくらい、神代三山陵は現代人には忘れ去られている存在なのである。

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