○前回、中国のもともとの補陀落渡海がどういうものであったかについて、話した。それは、井上靖の「補陀洛渡海記」とは、随分異なるものであることに驚く。あれだけ、中国通である井上靖なのに、熊野の補陀落渡海のみに拘泥して、まるで、補陀落渡海そのものが理解されていないのが不思議でならない。井上靖には、折角、真実の補陀落渡海へ迫る契機があったににも拘らず、それが生かされていないのが非常に残念である。
○井上靖は「天平の甍」と言う作品をものしているくらいだから、寧波や天台山、揚州あたりには、相当詳しかったはずである。井上靖が普陀山を訪れたなら、彼は、必ず、真実の補陀落渡海を理解したと思う。
○それ程、普陀山から見る洛迦山は神々しい。また、中国では、
・普陀或单呼洛迦,久之遂成为两个山了。
と称して、普陀山と洛迦山の両方に参詣して初めて、普陀山参詣は成就するとしている。
○ただ、それは遥か後世の話であって、もともと洛迦山は常人の訪れることのできるところでは無かった。洛迦山を訪問すると言うことは、そのまま佛様の世界へ入ることを意味した。もともとは普陀山そのものが信仰の島だったのである。
○そういうふうに話すと、現在の普陀山は信仰の島では無いように思われるかも知れない。現在の普陀山へ参詣していただければ判ることだが、現在の普陀山は、信仰の島と言うより観光地と言った方がより適切なのではないか。
○これまで、6回、普陀山へ参詣しての感想がそれである。特に、今回は、2017年12月10日から14日まで、4泊5日、普陀山へ滞在し、普陀山三寺と称される普濟禅寺、法雨禅寺、慧濟禅寺の三寺へ11日12日13日と、毎日お参りした。
○井上靖は「天平の甍」と言う作品をものしているくらいだから、寧波や天台山、揚州あたりには、相当詳しかったはずである。井上靖が普陀山を訪れたなら、彼は、必ず、真実の補陀落渡海を理解したと思う。
○それ程、普陀山から見る洛迦山は神々しい。また、中国では、
・普陀或单呼洛迦,久之遂成为两个山了。
と称して、普陀山と洛迦山の両方に参詣して初めて、普陀山参詣は成就するとしている。
○ただ、それは遥か後世の話であって、もともと洛迦山は常人の訪れることのできるところでは無かった。洛迦山を訪問すると言うことは、そのまま佛様の世界へ入ることを意味した。もともとは普陀山そのものが信仰の島だったのである。
○そういうふうに話すと、現在の普陀山は信仰の島では無いように思われるかも知れない。現在の普陀山へ参詣していただければ判ることだが、現在の普陀山は、信仰の島と言うより観光地と言った方がより適切なのではないか。
○これまで、6回、普陀山へ参詣しての感想がそれである。特に、今回は、2017年12月10日から14日まで、4泊5日、普陀山へ滞在し、普陀山三寺と称される普濟禅寺、法雨禅寺、慧濟禅寺の三寺へ11日12日13日と、毎日お参りした。