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硫黄島三山

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○前回、大山祇神や木花之佐久夜毘売命の故郷が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島であるとの話をした。そういう大事なことを日本の神話学者先生は何故かご存じ無い。同じように、日本の歴史学者先生もそういうことに誰も言及なさらない。

○近年、日向国について詳細な検証を加えているのは、
  ・安本美典著「邪馬台国は、その後どうなったか」(廣済堂出版:1992年)
  ・梅原猛著「天皇家の“ふるさと”日向をゆく」(新潮社:2000年)
くらいのものではないか。

○ただ、残念なことに、安本美典も梅原猛も、まるで日向国を理解できていない。その原因は、日向国の中心が何処にあって、そこに何が存在するかを安本美典や梅原猛が追及しようとしないからである。日向国を本当に理解することは、それ程、難しい。

○ある意味、日向国の中心を追及しようと思えば、それは神代三山陵の研究をするしかない。そういうことに安本美典や梅原猛は、まるで気付いていない。そして、神代三山陵の研究をするのであれば、神代三山陵の研究の先駆者、白尾國柱にしたがうしか無い。安本美典や梅原猛は肝心のそういう方法論を放棄してしまっている。それでは日向国の探求は覚束ない。

○第一、日向神話の始まりである、天孫降臨の世界山、高千穂峰を規定できないでは、日向国を理解することは、到底、無理だろう。安本美典も梅原猛も、肝心の天孫降臨の世界山、高千穂峰すら、規定できていない。安本美典や梅原猛には、そういう情報が不足しているからである。

○これらのことについては、長くなるので、ここらで打ち切りたい。安本美典や梅原猛の日向論については、以下を参照されたい。
  ・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『日向神話の意義について』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40671471.html
  ・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『安本美典:「邪馬台国は、その後どうなったか」』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40673150.html
  ・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『梅原猛:「天皇家の“ふるさと”日向をゆく」』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40674789.html

●前回、述べた鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島がどういうところであるか。それを代表する風景が硫黄島三山であると言えよう。今回はその硫黄島三山についての話である。

●硫黄島は、何ともおどろおどろしい島である。そのことは、硫黄島を外から眺めると、よく判る。小さい島であるにも拘らず、標高703辰發旅盪海聳えていて、それも四六時中、不気味な白い噴煙を揚げている。とても、人の住める島とは思えない。

●その硫黄島には天然の良港が存在する。名を長濱港と言う。現在はコンクリートで岸壁が固められているけれども、昔は砂浜であった。その西側には100辰鯆兇浩篳匹、およそ1、5劼眤海い討い襦その奥まったところが長濱港だから、風を全然受け付けない。当然、硫黄島唯一の集落、長濱集落も、そこに存在する。

●硫黄島唯一の集落である長濱集落は稲村岳(238叩砲寮沼Δ凌遒紡減澆垢襦D降製戸遒寮召榔蔑鰭埼で、100辰鯆兇浩篳匹南北に、およそ1、5劼眤海い討い襦1蔑鰭埼は南端で、北端は矢筈岳(349叩砲噺世Α

●島は常時、風に吹き晒されている。その風を西側で塞き止めているのが永良部埼の絶壁だし、北側には矢筈岳(349叩法東側には稲村岳(238叩砲屹立する。お陰で、長濱集落には南風以外は入らない。

●稲村岳(238叩砲旅垢謀貘Δ紡減澆垢襪里硫黄岳(703叩砲任△襦したがって、硫黄島に存在する山は硫黄岳(703叩法μ霹Τ戞複械苅広叩法Π霏竺戞複横械賢叩砲了飴海噺世Δ海箸砲覆襦それが硫黄島三山である。

◎南九州には三山信仰と言う概念が存在する。例えば、屋久島には屋久島三山が存在する。
  ・宮之浦岳(1936叩
  ・永田岳 (1886叩
  ・黒味岳 (1831叩
同じように、内之浦には内之浦三山が存在する。
  ・国見岳(886叩
  ・黒尊岳(908叩
  ・甫与志岳(966叩
邪馬台国にも、邪馬台国三山が存在する。
  ・うねびやま=霧島山(1700叩
  ・かぐやま=桜島山(1117叩
  ・みみなしやま=開聞岳(924叩

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