○2008年ころに、吉野山とは何かについて考えていた。それがブログ『吉野山の正体』である。
・書庫「吉野山の正体」:40個のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/389714.html?m=l&p=1
○それで2008年3月に吉野山へ参詣した。
・書庫「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か院宍般邉行』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/3756003.html
・書庫「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か押宍般邉行2』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/3771513.html
・書庫「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か魁宍般邉行3』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/3810863.html
・書庫「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か粥宍般邉行4』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/3820417.html
○吉野山が何者かは、なかなか難しい問題である。「吉野山の正体」でそれが何であるかを解明できたと自負する。結論だけを述べると、吉野山の正体は可愛山陵の先坣僑位だと言うことになる。もっとも、そういうふうに、きれいに説明できるようになったのは、随分後のことである。
●初めて大峯山へ登ったのは、2009年3月28日のことであった。先に熊野本宮に参拝した後、国道168号線を走って、天川村洞川へ着いたのは、ちょうど正午ころだった。それから大峯山山上ケ岳へ登った。その時の様子は、以下のブログに書いている。
・書庫「熊野から天川村・吉野・国中への旅」:ブログ『大峰山山上ケ岳に登る』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/25255167.html
○その後、2009年5月30日に、初めて、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島を訪れた。
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『俊寛の硫黄島』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27242814.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『硫黄島に立つ俊寛像』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27275516.html
○当時、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島がそれ程恐ろしい島であることを何も知らなかった。だから、ブログの表題も『俊寛の硫黄島』とか『硫黄島に立つ俊寛像』と言うふうに、俊寛僧都をメインに置いている。今でも、硫黄島で最大の有名人が俊寛僧都であることに変わりはない。
◎たまたま、3月末に大峯山山上ケ岳に登り、5月末に鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島を訪れた偶然が、とんでもないものを生み出した。それが吉野三山(大峯三山)である。このことは最初に硫黄島を訪問した2009年5月30日に気付いたことである。
◎そのことについて、最初に書いているのが次のブログである。
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『硫黄岳の正体』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27819524.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『吉野山の御神体』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27852639.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『蔵王権現の正体』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27863830.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『大峰三山』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27892853.html
・書庫「吉野山の正体」:40個のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/389714.html?m=l&p=1
○それで2008年3月に吉野山へ参詣した。
・書庫「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か院宍般邉行』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/3756003.html
・書庫「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か押宍般邉行2』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/3771513.html
・書庫「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か魁宍般邉行3』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/3810863.html
・書庫「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か粥宍般邉行4』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/3820417.html
○吉野山が何者かは、なかなか難しい問題である。「吉野山の正体」でそれが何であるかを解明できたと自負する。結論だけを述べると、吉野山の正体は可愛山陵の先坣僑位だと言うことになる。もっとも、そういうふうに、きれいに説明できるようになったのは、随分後のことである。
●初めて大峯山へ登ったのは、2009年3月28日のことであった。先に熊野本宮に参拝した後、国道168号線を走って、天川村洞川へ着いたのは、ちょうど正午ころだった。それから大峯山山上ケ岳へ登った。その時の様子は、以下のブログに書いている。
・書庫「熊野から天川村・吉野・国中への旅」:ブログ『大峰山山上ケ岳に登る』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/25255167.html
○その後、2009年5月30日に、初めて、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島を訪れた。
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『俊寛の硫黄島』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27242814.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『硫黄島に立つ俊寛像』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27275516.html
○当時、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島がそれ程恐ろしい島であることを何も知らなかった。だから、ブログの表題も『俊寛の硫黄島』とか『硫黄島に立つ俊寛像』と言うふうに、俊寛僧都をメインに置いている。今でも、硫黄島で最大の有名人が俊寛僧都であることに変わりはない。
◎たまたま、3月末に大峯山山上ケ岳に登り、5月末に鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島を訪れた偶然が、とんでもないものを生み出した。それが吉野三山(大峯三山)である。このことは最初に硫黄島を訪問した2009年5月30日に気付いたことである。
◎そのことについて、最初に書いているのが次のブログである。
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『硫黄岳の正体』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27819524.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『吉野山の御神体』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27852639.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『蔵王権現の正体』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27863830.html
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『大峰三山』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27892853.html