吉野三山(大峯三山)
○2008年ころに、吉野山とは何かについて考えていた。それがブログ『吉野山の正体』である。 ・書庫「吉野山の正体」:40個のブログ https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/389714.html?m=l&p=1 ○それで2008年3月に吉野山へ参詣した。 ・書庫「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か院宍般邉行』...
View Article俊寛僧都と硫黄島
○最初に鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島を訪れたのは、2009年5月30日であった。その時の感動は今でも忘れられない。詳しくは、以下のブログに書いている。 ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『俊寛の硫黄島』 https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27242814.html ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『硫黄島に立つ俊寛像』...
View Article硫黄島が舎衛城であること
○『硫黄島が舎衛城であること』については、本ブログでは、これまで、幾度となく言及していることである。その契機となったのは、寛政七年(1785年)刊行の「麑藩名勝考」である。「麑藩名勝考」は江戸時代の国学者、白尾國柱に拠って著されたものである。 ○2009年5月30日に、初めて鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島を訪問した際、『硫黄島が舎衛城であること』については、以下のブログで、詳しく述べている。...
View Article佐伯氏が舎衞城氏であること
○ブログ『鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島』から『俊寛僧都と硫黄島』、『硫黄島が舎衛城であること』と来れば、次に来るのは『佐伯氏が舎衞城氏であること』でしかない。舎衞城もしくは舎衞国は、そういうふうにして日本全国に拡散して行っている。...
View Article大和地名と出雲地名
○昨年は、12月30日に、ブログ『普陀山と洛迦山』を書いて、一年の締め括りとした。12月9日から16日まで、中国寧波や普陀山を訪れている。普陀山参詣は六度目であった。 ・書庫「大和三山」:ブログ『普陀山と洛迦山』 https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41232709.html ○今年は、正月三日に、ブログ『御来迎』を書いたのが最初である。...
View Article出雲地名
○前回、『大和地名と出雲地名』と題して、大和地名と出雲地名について言及しようと思った。しかし、大和地名で字数が尽きてしまった。それで、今回は『出雲地名』と題して、出雲地名について、考えてみたい。...
View Article霧島山初冠雪
○ここのところ、寒い日が続いている。昨日、2018年正月11日は特に寒く、我が家から遠望される霧島山が真っ白になっているのが見えた。元気があれば、霧島山へ出掛け、雪景色の写真でも撮るのだけれども、なかなかそんな元気は無い。...
View Article枕詞:八雲立つ
○前々回、ブログ『出雲地名』を書いて、出雲地名の発祥が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島であるとした。前にすでにブログ『八雲立つ出雲』も書いているのだから、今更、ブログ『枕詞:八雲立つ』を書く必要性も無い気もする。しかし、流れから言って、一回は『枕詞:八雲立つ』について、述べておきたい。 ○ブログ『八雲立つ出雲』を書いたのは、2010/11/22(月)とあるから、随分前のことである。...
View Article三輪山と大和三山
○今回、ブログ名を『三輪山と大和三山』としたのには、当然、理由がある。もちろん、それがブログ『枕詞:八雲立つ』に引き続く話であることは言うまでも無い。そして、それはブログ『大和三山の正しい眺め方』や、ブログ『硫黄島から眺める大和三山』の話を継承するものでもある。ブログ『大和三山の正しい眺め方』や、ブログ『硫黄島から眺める大和三山』については、以下を参照されたい。...
View Article三輪山信仰の本質
○出雲神を追い続けると、大和国一宮である大神神社へ辿り着くし、信濃国一宮である諏訪大社へ着くし、宮城県名取市愛島笠島の笠島道祖神へ逢着する。出雲神の斎き祀られているところは必ずしも、出雲国だけではない。...
View Article硫黄島の磐座崇拝
○前回、ブログ『三輪山信仰の本質』の話をした。その三輪山信仰の故郷が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島である。当然、硫黄島には『三輪山信仰の本質』が存在する。今回はそういう話をしたい。 ○『三輪山信仰の本質』が磐座崇拝にあることは、間違いない。そして、それは出雲神の本質でもある。実際、最初に硫黄島を訪問した2009年5月30日に、そのことについても書いている。...
View Article大峯信仰の本質
○前回案内した硫黄岳の信仰の本質が磐座崇拝であったと同様に、前々回案内した『三輪山信仰の本質』が磐座崇拝であることは、大神神社のHPでも確認されることである。前回紹介した、天保十四年(1843年)刊行の「三国名勝図会」の記録は、そのことをきれいに説明している。大事な要件であるので、再度、掲載しておく。 【硫黄峯】(在番衙より、寅方、半里許)...
View Article笠島道祖神と硫黄島
○ここまで、ブログ『三輪山と大和三山』から『三輪山信仰の本質』、『硫黄島の磐座崇拝』、『大峯信仰の本質』と見て来た。この流れの先に、笠島道祖神が存在することも確かな話である。 ○2007年9月に笠島道祖神へ参詣した。その時、笠島道祖神の正体が甚だ気になった。それで以下のブログを書いている。 ・書庫「歌枕笠島・阿古耶を旅する」:ブログ『笠島道祖神の正体』~2007/12/12(水)~...
View Article辯才天信仰と硫黄島
○前回、『笠島道祖神と硫黄島』では、道祖神と硫黄島の関係について触れた。それに引き続き、今回は『辯才天信仰と硫黄島』の話をしたい。 ○日本には日本三大弁才天が存在する。 日本三大弁天 日本三大弁天(にほんさんだいべんてん)は日本の弁才天に関する名数。 弁財天を祀る以下の三寺社をいう。 ・宝厳寺・竹生島神社(滋賀県 竹生島) ・江島神社 (神奈川県 江の島)...
View Article磐座崇拝の原点
○ここまで、ブログ『三輪山信仰の本質』から『硫黄島の磐座崇拝』、『大峯信仰の本質』、『笠島道祖神と硫黄島』、『辯才天信仰と硫黄島』と見て来た。これらの信仰の本質に存在するのが磐座崇拝であった。 ○では、そういう磐座崇拝が何処で誕生し、どういうルートを経てもたらされたか。今回はそういう話をしたい。意外に磐座崇拝の起源は根が深い。
View Article普陀山の磐座崇拝
○日本の磐座崇拝を追い続けると、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島へ辿り着く。それが中国浙江省舟山群島の普陀山からもたらされたものだと言う話を前回した。当古代文化研究所では、これまで六回普陀山へ参詣している。
View Article普陀山と恵萼
○前回、ブログ『普陀山の磐座崇拝』で、普陀山の紹介をした。その記事の中に日本人僧恵萼の話が出ている。今回は、その日本人僧恵萼の話をしたい。 ○中国浙江省舟山群島の普陀山は、中国佛教四大名山の一つとして知られる。再度、日本のウィキペディアフリー百科事典が案内する普陀山を案内しておきたい。 普陀山 普陀山(ふださん、拼音: Pǔtúo...
View Article日本の神仏混淆の起源
○神仏習合とはどんなものか。日本のウィキペディアフリー百科事典には、次のように載せる。 神仏習合 神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が 混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともい う。明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。...
View Article中国仏教が神仏混淆であること
○前回『日本の神仏混淆の起源』と題して、日本へ伝来した仏教がすでに神仏混淆のものであったことを話した。ところが、日本では神仏混淆や修験道にしたところで、にほんオリジナルのものとして、認識されている。そのこと自体がとんでもない誤りであると言うしかない。 ○確認の為、再度、ウィキペディアフリー百科事典が載せる「神仏習合」と「修験道」を掲載しておく。 神仏習合...
View Article中国仏教が神仏混淆であること~その二~
○前回、『中国仏教が神仏混淆であること』として、中国仏教聖地である中国佛教四大名山の話をした。ただ、仏教の話をしただけでは、それは中途半端でしかない。当然、神様の話をする必要がある。今回は、そういう神様の話となる。 ○中国で神様と言えば、当然道教になる。その道教の聖地と言えば、五岳以上は無い。念の為に、ウィキペディアフリー百科事典が案内する五岳から紹介したい。 五岳...
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